「SONY の四文字のブランド価値を一層高めていきたい」、これは著者が1982年に社長に就任し、社長交代会見に臨んで記者団に答えたことだった。ブランドやデザインの重要性に着目、ソニーらしさを製品に盛り込みイメージを向上させることに心血を注ぐ一方、ハリウッドの名門を買収、ハードとソフト両面から経営規模の拡大をめざした50年にわたる「ソニー人生」が綴られている。
ソニーの前身の東京通信工業時代に、新しく開発した小型トランジスタラジオを盛田さんがアメリカに売りに行った際、「SONY のブランドでは売れないから、我々のブランドに変えてくれれば十万台の注文を出す」という話があったが、盛田さんはその依頼を断った。盛田さんはその時、「SONYを将来、絶対、有名なブランドにしてみせる」とタンカを切ったそうで、この話はソニーのブランドに対する考え方の原点になっている。……
企業が発展していくためには、そこで働く社員が満足して仕事を遂行出来なければならない。ソニーは盛田さんの時代から「学歴無用論」や「グローバル・ローカライゼーション」といったスローガンを掲げ、柔軟な人事政策をとってきた。おかげで転職組の社員や外国人社員、それに若手社員でも優秀で能力さえあれば、社内で重要なポジションに採用されることになっている。日本に大企業病が蔓延するなか、ソニーが創業時のベンチャー精神をまがりなりにも持ち続けてこられたのはそうした企業文化が大きく貢献している。……
私にはもう一つ別の人生を歩む道があった。「バリトン歌手・大賀典雄」としての人生である。そのためにドイツにも留学したが、井深さん、盛田さんの熱心な勧誘にあい、経営者としての道を歩むことになった。盛田さんは「二足のわらじという言葉もあるじゃないか」と言われたが、二足どころか、ソニーという一足をしっかり履くだけでも東奔西走の毎日を送ることになった。しかし後悔はしていない。むしろ経営者しての自分の能力を開花させて下さったお二人に今は本当に感謝している。……
ソニーも創業以来、拡大の一途をたどってきたが、企業にも寿命があると言われるように、この先も成長を続けられるかどうかは今の経営陣と社員の肩に掛かっている。その意味でも私のこれまでの道程をここに記し、引き継ぐべきものは引き継ぎ、超えるべきものは超えていって欲しいと願っている。
——序章より