河野 英一氏が語る
「Font―文化をつなぐ”書体”のチカラ」

西洋のアルファベットと、日本の漢字やかな。欧文と和文の文字をもっと美しく調和させて表示できないものか―そんな素朴な疑問を抱いたことをきっかけに、サラリーマンを辞めてロンドンへ渡った一人の書体デザイナーがいる。のちに、ロンドン地下鉄の書体として長年愛された「New Johnston」や、Windows OS標準搭載の人気書体「メイリオ」などを手掛けた世界的タイポグラファーの河野英一氏だ。書体作りを通して異文化間のコミュニケーションを見つめてきた河野氏に、その奥深い世界について伺った。

[2018年11月]

写真:河野 英一

河野 英一(こうの・えいいち)/タイポグラファー
1941年東京生まれ。英国在住のタイポグラファー。1974年に渡英し、London College of PrintingおよびRoyal College of Artで欧文タイポグラフィーやインフォメーショングラフィックを学ぶ。ロンドン地下鉄の書体の改作をはじめ、英国電話帳ページのスペース節減や可読性向上、マイクロソフトWindows OS標準搭載フォント「メイリオ」のデザイン、経済誌『The Economist』などのページデザインや、各種ロゴの開発など数々の実績を持つ。直近では新書体「CCArtSansZenBK(仮称、CCAアートサンズ・ゼンブック)」を制作。ZenBKの名に込められた「できれば必要な文字を全部」を目指し、和欧混植の可能性をさらに追究し続けている。

 

赤色の輪に青の横線―ロンドン地下鉄のシンボルマークは、多くの人が目にしたことがあるだろう。この駅名板をはじめとする、ロンドン交通局の案内標識や印刷物のほぼ全てに80年代から使われてきたのが「New Johnston」という書体。オリジナルの「Johnston」の精神を受け継ぐシンプルかつ人間味のある、視認性の高いデザインで、街にあふれる膨大な文字の中から人々が必要とする情報を瞬時に届けてきた。

―ロンドンを象徴する書体のデザインに、日本人が関わっていたと知って驚きました。

1974年、勤めていた会社を思い切って退職し、タイポグラフィーを学ぶため33歳で渡英したんです。学校で5年間学び、卒業目前の79年、声をかけられたデザイン会社での初仕事が「Johnston」という書体のリニューアルでした。この書体は1916年、20世紀の欧文書字法の祖と評されるカリグラファー、エドワード・ジョンストンが、ロンドン地下鉄の駅名表示やポスター向けに制作したもの。ローマ時代の石碑文字が持つ見事なプロポーションを継承しつつ、ルネサンス期の技巧の粋から生まれた人間的で格調高いエッセンスを、現代風のサンセリフ(文字の線の端につけられるウロコがない書体)に生かしたスタイルで、世界的に大きな反響を呼びました。その影響は今日も使われている「Gill Sans」や「Helvetica」「Univers」など後続の書体に及んでいます。

しかし、ウェイト(文字の太さ)が2種類しかなく、活版活字は文字サイズの自由もきかないため、使い勝手が悪くなっていたんですね。ついにロンドン交通局が約60年ぶりの改作を決め、その大仕事が偶然にも私のもとに舞い込んできたのです。

―活版から写植へと印刷技術が進展する中で、活字もアップデートが必要だったわけですね。

はい。15世紀にグーテンベルクによって生み出された活版印刷は、人々の考えを古今東西に伝播させることを可能にした、文化史上極めて重要な発明です。以来約500年にわたり、金属や木などに字形を彫った活版活字が使われましたが、20世紀後半に写植技術が登場し、今ではデジタル活字へと大転換を遂げました。Johnstonは写植に対応しておらず、駅構内の案内図から文字の小さい路線マップまで幅広い用途で高い可読性を保つには、改作が不可欠でした。

ロンドン交通局へのプレゼンは1カ月後。そう言われていざオフィスに行ってみると、事務用の旧式な青焼き複写機と製図用のペンと絵筆が数本あるだけ…実は私を雇い入れたデザイン会社も書体作りは初めてだったのです(笑)。デジタル化以前はフォントデザインの会社など大手以外はありませんでしたから。

元版も残っておらず、昔のロンドン交通局のポスターや他のフォントのプロポーションの数値を手掛かりに、手書きで1文字ずつデザインしていきました。日本にいる元同僚に頼んで送ってもらった顕微鏡やレンズは、拡縮した文字の確認に大いに役立ちました。そしてなんとか試作したミディアム(BoldとRegularの中間の太さ)がロンドン交通局から「汎用性があって良い」と評価され、その後1年半をかけて全8種類のスタイル(異なる文字幅や斜体など)を作りました。それが「New Johnston」です。

New JohnstonOriginal vs. New (digital simulation)
ポケットマップの組版文字サイズはなんと4ポイント(高さ約1.5ミリ)。New Johnstonならではの可読性が、極小サイズの印字を可能にした。
*Railway font by Justin Howes & Greg Fleming, 2012

―そもそも、なぜ英国でタイポグラフィーを学ぶことに?

東京にいた頃は、世界的な光学レンズメーカーのカールツァイスで広報業務を担当していました。まだ駆け出しだった1967年、ドイツ本社から送られてくるカタログなどを日本向けに作り替える仕事を任され、やってみるとどうもピンとこない。ドイツ語版の雰囲気を残そうと和欧混植で組むのですが、当時は欧文書体の種類が少なく、欧文の組み方を知る人もほとんどいないので、どうしてもオリジナルの雰囲気が崩れてしまうんですね。

窮していたところに紹介されたのが、東京の嘉瑞(かずい)工房という活版印刷屋のあるじ、高岡重蔵さんでした。高岡さんは1964年の東京五輪の表彰状に入賞選手名を刷り込む公式な役目も果たした方で、当時日本人唯一の英国印刷家協会の会員かつマスタープリンターの称号も持つ人物。当然、欧文の書体や組版(ページデザイン)にとても詳しかった。レターヘッドやチラシを依頼すると、ドイツ人社長も喜ぶほど美しいものを作るんです。週に一度、若手デザイナーやアーティストたちに工房の片隅で欧文組版を教えていて、いつしか私も通うようになりました。この出会いが私の人生を大きく変えることになったのです。

―欧文書体のどんなところに魅かれましたか。
今からちょうど50年前、スタンリー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』を観た時のこと。映画の後で高岡さんが、冒頭のタイトルに使われていた書体は分かったかと聞くんです。「Futura?」と答えると「違う、Gill Sansだ」と言う。そして「猿人が最初の道具として骨を使ったシーンはAlbertus、エンドロールがFuturaだ」と。

Gill Sansはジョンストンの弟子エリック・ギルが1928年、古代ローマの碑文体などをモデルにしたJohnstonを手本に作った活字体。Albertusは1932年にドイツのバートルド・ヴォルプが鉄や石などで手作りした感覚でデザインしたもの。そしてFuturaはバウハウスの講師ポール・レナーが未来文明の機械的感覚を象徴させて作った活字で、ラテン語でもちろん“Future”を意味します。つまり書体の歴史的背景をきちんと理解した制作者が、映画の内容に合った文字を実に効果的に使っていた。ここで初めて、なぜ高岡さんや集まってくる若いデザイナーたちがタイポグラフィーに夢中になるのか、分かった気がしました。

河野氏の仕事は、文字を美しくデザインすることだけではない。80年代にはブリティッシュ・テレコムから電話帳の組版改訂を依頼され、全体の10%にあたる約2,700トンの紙を削減。同社に年間約100万ポンド(当時およそ2億円)もの経費削減をもたらした。そして21世紀、読み書きの中心は紙から電子ディスプレイへと本格移行していく。

―和文フォント「メイリオ」は、画面上の可読性の高さから、ウェブデザイナーや書体に詳しいユーザー層に絶大な支持を得ていますね。開発のきっかけは?

写真:河野英一ある時New Johnstonの制作で世話になったオックスフォードの友人から「ちょっと会えないか?」と連絡が来たんです。二つ返事で快諾したものの、告げられた行き先はシアトル!(笑)彼はマイクロソフト社のタイポグラフィーのアドバイザーになっていたんです。マイクロソフトは90年代半ばから液晶ディスプレイ上で文字をはっきり滑らかに表示する技術の開発を進めていました。しかし和文は欧文の比でないほど字数が多く、文字の構造も複雑。まずは実現の可能性を調査するチームが編成され、そこへ招かれました。課された目標は、画面上でも紙上でも読みやすく、和欧両書体が調和したデザインであること。しかし4カ月のリサーチの末、既存書体の中には適したものがないとの結論に至り、新たな書体を開発することになったのです。

―和欧混植に適した書体を、いよいよご自身で作ることになったわけですね。

はい。和文と欧文では読む時の単語の捉え方が全く違います。横書きの欧文は、単語の間がしっかり空いて、字間がきちんと詰まっていないといけない。一方、縦書きから始まった和文フォントは、真四角の中心に文字が収められており、字間を詰めるという概念がありません(図①)。横組み中心の世界的な流れに対して日本語はまだまだ試行錯誤の状態。この点を改良する必要がありました(図②)。

図➀・➁

図➀ 従来の横組み(左) 図➁ メイリオの横組み(右)

 

―媒体がディスプレイになることで、従来とは違う難しさがあったのでは?

2000年前後、マイクロソフトは液晶ディスプレイのピクセルを構成するRGB(赤・緑・青)というサブピクセルの明暗を個別に調整することで、スクリーン上の文字を滑らかな曲線に見えるようにする画期的な技術(図③)を開発中で、この技術を利用すれば「複雑な漢字も読みやすく表示できるのでは?」との提案に応えて、以前から知り合いだったワープロ書体に精通するC&G社の協力を得てプロトタイプを作りました。そのプレゼンに際し、偶然にもシアトル訪問中だったマイクロソフト日本支社の古川享社長(当時)が目をとめ、ビル・ゲイツ氏に「これは絶対にやるべき!」と強力にアピールしてくれました。

2002年にゴーサインが出たものの、与えられた開発期間はわずか2年。アルファベットは基本的にはたったの表音26文字ですから、容易なことと思われていたのですね。しかし日本語はJIS規格の文字だけで2万3千字以上、特殊文字や記号、さらに見出し用のボールドを加えれば5万字に及びます。不安もありましたが、C&Gの提携先だったアーフィックという台湾のフォント会社の漢字速成技術が使えると踏んでいました。なんと彼らは漢字の部首の合成パターンを解析し、ソフトウェアで文字を自動生成する技術を開発していたのです。

例えば「木」という漢字を「林」にするには細長い形にし、「森」にするには少し扁平にしますね。まさに漢字文化圏ならではの技術です。アルファベットはマシュー・カーター(英国の著名な書体デザイナー)に依頼し、彼が96年に開発し、可読性の高さが世界的に称賛されていた「Verdana」を和文文字になじむように改良してもらうことにしました。

こうして生まれたチームが協働し、2年間で一通りの文字が完成。その後、さらに2年に及ぶヒンティング(画数の多い複雑な漢字を小さなサイズでスクリーン上に表示した時に、線の途切れや潰れを防ぐ調整)や、ストローク・リダクション(あらかじめ画数線数を間引いたデータを付加しておく作業)を経て、2007年Windows OSへの搭載にこぎつけました。幸いこの年のグッドデザイン賞や東京TDC賞も受賞できました。

Image:図3

図➂ RGBのサブピクセルを個別に調整し、濃淡をつけることで滑らかな曲線を実現。

 


―国際的な協力のもとに生まれた書体だったのですね。最後に、タイポグラフィーの未来をどのように見据えていますか。

今、書物からビジネス書類まで、和欧の文字の混植は日常化しています。今後さらに国を超えて文化・学術交流が進めば、さまざまな言語、さまざまな専門分野に対応する組版をよりスムーズに作成できる環境の必要性が増していくことでしょう。ますます混在化する異 なった言語や文化を理解するためにも、社会に役立つような書体作りを目指していきたいですね。

 


このインタビューは2018年11月6日に行われたものです。

聞き手:笹山 祐子/前田 愛実(国際文化会館企画部)
表紙・インタビュー撮影:コデラ ケイ
©2019 International House of Japan


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