1952年の設立以来、国際文化会館では数多くの異文化交流・知的プログラムを通じて、日本や世界各国から集まった何千人もの方々のために、知的・文化的対話などの交流事業を行ってきました。彼らの体験談は、人と人との交流がいかに社会を超えた理解、友好、協力の種を蒔くことができるかを反映しています。教育や文化交流の効果は、単に学位や証明書を取得することではなく、その知識や技術を活かして産業や社会にどのような変化をもたらすかが重要であるため、その評価が難しい。IHJフェローシップの同窓生が語るこれらのエピソードは、IHJが「多様な世界との知的対話、政策研究、文化交流を促進し、自由で、開かれた、持続可能な未来をつくることに貢献する」というミッションをどのように果たしてきたか示していると言えるだろう。そして、これらの同窓生の体験談が、国際文化会館がその使命を未来へと受け継ぐためのインスピレーションかつ指針になればと考えています。
#3 効果的なコミュニケーション~明確なメッセージ、文脈、ニュアンス
ジョアン・フヴァラは、民間団体や非営利団体で数多くの指導的役割を果たし、コミュニケーションの分野で長く豊富なキャリアを積んできた。特に異文化コミュニケーションのスキルと洞察力を駆使して、異なる背景や目的を持つグループ間の理解を深めることに長け、多様な国際的パートナーや顧客と仕事をしてきた。
1980年代前半から半ばにかけては、ゼネラル・エレクトリック社(以下、GE)の国際貿易業務部門でマーケティング・コミュニケーションのマネージャーを務める。その後の10年間は、ローラル・コーポレーション(後にロッキード・マーチンが買収)で企業広告部門を指揮し、メディア連携、広告、投資家向け広報活動などに関して数々の企業リーダーへの助言を担当する副社長に抜擢された。その後、ソニー・コーポレーション・オブ・アメリカのコミュニケーション・ディレクターとして、オンライン広告が普及し始めたころの広報事業を開発・実施し、コミュニケーション戦略や課題について経営幹部への助言を行った。
2000年代に入ってからは、ニューヨーク大学スターン・スクール・オブ・ビジネスでマーケティング・渉外担当副学部長を務め、新たなキャリアにすすんだ。ここで、ニューヨーク大学スターン校、HECパリ校、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの教授陣がパートナーシップを結び、この種のプログラムとしては初の共同プログラムを提供するTRIUMグローバル・エグゼクティブMBAプログラムなど、新しい事業を立ち上げるための戦略的・統合的なマーケティングおよびコミュニケーション・キャンペーンを開発した。その後、新たに創設されたコロンビア大学国際・公共問題大学院のマーケティング・渉外担当副学部長として、ジョアンは統合コミュニケーション戦略を立案・実行した。コロンビア大学工学部にも同様の役割を務め、学内外のコミュニケーション・イニシアチブを監督した。同大学の学部および大学院の両レベルにおいて、女子学生の採用と定着に力を入れるリーダー的存在として活躍してきた。
ジョアンは数十年にわたるコミュニケーションの仕事とリーダーシップのキャリアを終え、次代を担うコミュニケーションの専門家たちに自分の知識と見識を伝えることで、そのキャリアを締めくくることを決意し、2020年以来、バルーク・カレッジで留学生にビジネス・コミュニケーションを教えている。
1970年代、オハイオ州クリーブランドのカトリック系女子高校に通い、マイアミ大学で英文学と言語学の学士号を取得し、ロータリーの奨学金を得てパリのソルボンヌ大学で中世・ルネサンス美術史を学んだジョアンが、なぜグローバルな広告・マーケティングと戦略的コミュニケーションのキャリアを歩むことになったのだろうか。ジョアンは自ら企業人としての第一歩を踏み出したが、ビジネス・フェローとしての日本での経験は、効果的なコミュニケーション、特に異文化の文脈における重要な視点につながったと考えている。
クリーブランドにあるGEでの仕事をきっかけに、ニューヨークの国際貿易事業の企業に移り、世界中の産業界の顧客に送る季刊誌の編集に携わった。教育を重視するジョアンは、クリーブランドで始めたビジネスの勉強を続けるため、バルーク・カレッジの経営学修士課程(MBA)にも就学した。バルークで、彼女は国際文化会館およびジャパン・ソサエティ共催のビジネス・フェローシップのチラシを目にし、GEがフェローシップに参加するために休暇を与えてくれたために応募することができた。
日本に関心を持っていたジョアンはビジネス・フェローシップに応募する前から、ニューヨークのジャパン・ソサエティの会員としてイベントに参加していた。ビジネス・フェローとして1984年、彼女はソニーの国際マーケティング部で2ヶ月間のインターンシップをするために東京に降り立った。それまでにも、航空機エンジン、医療システム、発電、携帯ラジオなどの製品についてGEの顧客にインタビューするため、日本をはじめタイ、インドネシア、香港を訪れたことがあったが、日本のオフィスでの仕事、ソニーの男子寮での生活、そして休暇を利用した九州への一人旅は、彼女にまったく異なる視点をもたらし、日本や日本人、その文化に対する理解を深めることができた。
その年の7人のビジネス・フェローは、それぞれの企業でのインターンシップに出発する前に、国際文化会館に滞在してプログラムのオリエンテーションを受け、日本のビジネス・エチケットや異文化の違いについて学んだ。彼女は、当時国際文化会館の企画部部長であった田南達也氏が、彼らを指導し、質問に答え、グループの "わ"を育んでくれたことをおぼえている。日本の企業や社会にどっぷりと浸かり、ソニーの日系アメリカ人の同僚や親しみやすい同僚たちから指導を受けたことで、GEで経験したことをより深く理解することができた。
ソニーの歴史から工場見学、ナム・ジュン・パイク(韓国ビデオアートの先駆者)の作品にソニーのテレビが使われている様子、東京中の小売店を訪れてソニー製品がどのように顧客にアピールしているのか、ロボット犬などの新製品が開発されている様子など、ソニーでの仕事で彼女は多くのことを経験した。また、ソニーの人々に出会い、彼らの人生や経験を聞くことで、日本の企業文化や異文化コミュニケーションについて深い洞察を得ることができた。 なかでも、ソニーの創業者である盛田昭夫氏のスピーチライターを務めた日系アメリカ人の西山千氏や、のちにソニーの初期の女性管理職となるベティ・コズキ氏には大きな影響を受けた。 彼女はソニーで、中国とのビジネス・ベンチャーで英語版のドキュメントを大幅に改善するなど、多くの業務でそのコミュニケーション能力を発揮した。
ジョアンは、アメリカやヨーロッパとはまったく異なる日本で過ごしたことで、文化的価値観や社会的規範の違いをより深く理解し、その違いを埋める方法を見つけることができたと考えている。
効果的なコミュニケーションができなければ、リーダーは成功できない。また、効果的なコミュニケーションなくして、個人が協力し合うこともできない。言葉やイメージの背後には、相手の心に訴え、相手の価値観に響く考え方がある。日本での経験は、人間関係や信頼関係の構築の重要性を彼女に印象づけただけでなく、言語的・非言語的コミュニケーションのニュアンスに対する感受性を育んだ。
これらの洞察は、組織内の多様な「文化」(国籍、性別、社会経済的地位、学歴、業界など)の違いを埋め、社外に働きかけるための架け橋として、ビジネスや学術機関の垣根を越えたキャリアに大いに役立ったと彼女は言う。そして、これらの洞察は、効果的なコミュニケーターになるために次代の専門家を指導する今日の彼女の仕事の中核であり続けている。
ジョアン・フヴァラ
バルーク・カレッジのアジャンクト教授で、留学生にビジネス・コミュニケーションを教えている。2016年4月から2019年8月までコロンビア大学工学部のコミュニケーション担当シニア・ディレクターを務めた。コロンビア大学入社以前は、ニューヨーク大学スターン・スクール・オブ・ビジネス、ソニー株式会社、ロッキード・マーティン、ローラル・コーポレーション、ゼネラル・エレクトリックにて上級のコミュニケーション職を歴任。オハイオ州オックスフォードにあるマイアミ大学を卒業し、学士号を取得。ロータリー国際フェローとして、卒業後はパリ大学(ソルボンヌ大学)で美術史を学び、GEに勤務するかたわら、ニューヨーク市立大学バルーク・カレッジで国際マーケティングのMBAを取得。1984年に国際文化会館およびジャパン・ソサエティ共催のビジネス・フェローに選ばれ、東京のソニー本社でインターンシップを経験。バルーク・カレッジ基金の理事を務めるほか、マイアミ大学クリエイティブ・アーツ学部の理事も務めている。
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#2 学ぶことを止めず、常に希望を持ち、平和を信じる | |||
#1 言葉とアイデアで女性と人類を前進させる |