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- スピーカー:桐野夏生(日本)、ディナ・ザマン(マレーシア)、ジョアンナ・クルス(フィリピン)
- モデレーター:プラープダー・ユン(タイ)
- 日時: 2016年3月5日(土) 4:00~6:00 pm (開場: 3:30 pm)
- 会場: 国際文化会館 岩崎小彌太記念ホール
- 定員: 200名
- 用語: 英語/日本語 (同時通訳つき)
- 共催: 日本財団、国際交流基金アジアセンター
- 会費: 無料 (要予約)
タイの作家でアーティストのプラープダー・ユンさんをモデレーターに、桐野夏生さんとマレーシア、フィリピンの女性作家たちが、創作にかける想いや作品の受容について語ります。犯罪やテロリズム、LGBTなど、それぞれ異なる社会背景のなかで“タブー”とされる事柄を描いた作品を発表することは、どのような反響を生むのでしょうか?また、文化的特徴や宗教が創作に与える影響などについて、議論を交わします。
レポート
世界各地から作家や編集者らが集い、文学の魅力を語り合う東京国際文芸フェスティバル(日本財団主催)。第3回となる今年、国際文化会館では二つのアジアセッションを日本財団と国際交流基金アジアセンターとの共催で行った。第一部では作家の桐野夏生氏、マレーシアのディナ・ザマン氏、フィリピンのジョアンナ・クルス氏、モデレーターとしてタイのプラープダー・ユン氏が登壇し、各国の社会的タブーを書くことについて議論した。その様子を紹介する。
◆なぜ書き始めたのか
まず冒頭でユン氏が、作品を書く上で駆り立てられるものは何かと尋ねると、桐野氏は日本で女性として生きてきたなかで感じてきた違和感だと述べた。将来は「お嫁さん」になることが女性の進むべき道とされていた時代に、自分は専業主婦にはなりたくないと強く感じた。作家としての萌芽はこの頃にある。小説の内容が、妻が夫を殺害するなど奇抜だったため、当初は「怖い作家」として扱われ、虚構にまで差別があるのかと驚いたという。それでも、自分の小説で人が少しでも自由になってくれたらという想いで書き続けて来た。
ザマン氏はイギリスで大学院を修了し、帰国後はマレーシアのオンラインニュースサイト上で、マレーシアのムスリム女性について書き始めた。ザマン氏は信仰深いムスリムだが、外交官だった父の影響で幼少期を海外で過ごすなど、ある意味で外からマレーシアという国を見る目を持っている。そのためマレーシアでムスリム女性として生きるなかで、信仰心の植え付けや、女性に対する抑圧など、疑問に思う点が多々あった。それらを率直に綴った記事をまとめた『I am Muslim』が出版されると、脅迫電話がかかってくるなど恐ろしい思いをした。女性たちからは支持を得られると思っていたのに、そうではなかったので驚いたという。しかしそうした圧力に負けず、マレーシアにおけるムスリム女性の実態について書くことこそが自分の使命と思い書き続けている。
クルス氏は、20年前、フィリピン文学にはゲイをテーマにした作品はあるのに、レズビアンに関する作品が全くない状態で、レズビアンは存在しない「透明な存在」のように感じたと話す。カミングアウトした作家でさえ、その欲望をテーマにした作品は書かなかった。そうした現実と文学とのギャップを埋めたいと、レズビアンとしての自身の体験を言葉にする決意をした。今では状況も変化し、カミングアウトする若い作家も増え、中にはクルス氏の本に励ましを受けたという作家もいるという。レズビアンの作家として文学界に進出するのは大変だったが、それだけの価値があったとクルス氏は語る。ただ、やはりゲイの作品数と比べると、レズビアンの作品数は圧倒的に少ない。「物を書いて発表するということはやはり勇気が必要なことなのです」
◆現代の宗教やジェンダー観
今日のマレーシアでは、イスラム教がますます私的空間に侵入し、女性への抑圧や制限が強まっているというザマン氏。ガールフレンドがたくさんいる友人のムスリム男性の例を挙げ、彼が「結婚するなら、良家の処女で気質の良い女性でなければならない」と言うのを聞いた時、自分の友人の間にもそういうことがあるのかと、とても驚いたという。またマレーシアのムスリム女性の中にも、パーティが大好きだったのに、結婚をしたとたんにヒジャブを被り「ムスリムの良妻」になる人や、キャリアウーマンでも結婚と同時に専業主婦になる人が多い。ザマン氏は、そうしたアイデンティティの振れ幅の大きさに戸惑いを隠せない。「私の母親の世代は働く女性が多く、私も高等教育を受けてきた。しかし今のマレーシアの若い女性は、勉強よりも自分を養ってくれる男性を探す方を優先します。経済大国では男性一人の収入で家族を養うのは簡単ではないのに」。
日本でも伝統的家族観が頭をもたげ、今また家父長制のような動きが出てきている。桐野氏は、政府による伝統的価値観の押し付けがあると指摘する。例えばLGBTなどに関して渋谷区は同性婚を認めているが、政府はそれを許さない。夫婦別姓の問題も同様だ。若い女性の貧困も問題で、どうせ就職できないなら結婚して専業主婦になりたいという人も多い。70年代からウーマンリブなどを経てやっと現在まで来たのに、またそこに戻るの?という印象があると語った。
カトリック教会が国家や法律に対して大きな影響力を持つフィリピンでは、離婚が許されず、同性婚は議会の話題にすらのぼらない。クルス氏の『Women Loving』が出版された時、カトリック教徒である彼女がレズビアンであるということに対して、批判が出ることを予測していたが、特に議論は起きなかった。「まさに無視という抑圧だと解釈しています。一見開放的に見えるフィリピンでは、目立たない所で多くの差別があるのも事実です」とクルス氏は話す。また現在のフィリピンでは中絶は法律上禁じられているため、違法な中絶が行われ、多くの女性が命を落としているという現実もあり、それは喫緊の課題だと語った。
◆小説に出来ること
最後に、作家が取り組むべき課題をユン氏が聞くと、クルス氏は、自分の周りで起きていることに反応し、個人の行動を反芻することだと答えた。作家として年を取るにつれて、個人的な懸念を表現するだけではなく、積極的に自分の周りの出来事に反応し、自分を育ててくれたコミュニティーにそれを反映させることが重要だと述べた。
桐野氏は東日本大震災の時、自分たちが書いてきた悲劇や惨劇をはるかに超える津波を見て言葉を失い、その後執筆できなくなった作家がたくさんいたことに触れ、自分もその中の一人で、言葉は万全でないことを思い知ったと語った。言葉からこぼれ落ちるものを小説はすくわなくてはいけない。しかし原発事故のような重要な問題を作品にすることの難しさもある。
特に日本では、タブーをあれこれ想定して、出版社が自粛し、作家も書かないことがある。マスコミの自粛が一番の問題だと思うと指摘した。原発事故後の世界を描いた『バラカ』が出版された時も、扱ってくれるテレビ局はなく、原発事故はまさにタブーに近いと思ったと言う。桐野氏は「私の書く小説はタブーだらけですが、たとえタブーであってもそうした事実がある以上、書くべきだと思います。そうした現実を小説世界の中で提示していかないと、本当にタブーになってしまうのではないでしょうか」と持論を述べた。
(レポートの写真は全て撮影:川口宗道)
桐野夏生(日本)
©Keiichi SUTO |
ディナ・ザマン(マレーシア)
ジョアンナ・クルス(フィリピン)
モデレーター: プラープダー・ユン(タイ)