小さな鉢の中に大きな自然の景観を表現する盆栽。その魅力を広めようと、ハサミ一つで世界を駆け巡る若き盆栽師がいる。埼玉・大宮盆栽村の名門「蔓青園」のホープ、平尾成志氏だ。伝統を受け継ぎつつ、その枠にはまらないのが彼の持ち味。世界のBONSAIと出会い、見えてきたものとは――。
[2014年3月]
1981年徳島県生まれ。京都産業大学を卒業後、埼玉県・大宮盆栽村の「蔓青園」に入門。日本盆栽界の大御所と言われた故・加藤三郎氏のもとで修行を積む。2013年には文化交流使に選ばれ、4カ月で11カ国を行脚。盆栽の魅力を世界に発信する活動を続けている。
―まず、盆栽師になったきっかけをお聞かせください。
最初は庭師になりたかったんです。二十歳のころ、大学のある京都で、東福寺の方丈庭園を見て衝撃を受けたのがきっかけでした。重森三玲(しげもりみれい)という作庭家が手掛けた日本庭園なんですが、その独特な雰囲気に強いインスピレーションを感じて、「日本文化の継承ってかっこいいな」と思ったんです。
ところが、いざ庭師の面接に行ってみると「穴掘って木を植えるだけの仕事だよ」と一蹴されてしまって…。へこんでいた僕を食事に誘ってくれたその庭師に「そこの盆栽園で待ってて」と言われ、訪ねた先で林の寄せ植えに目が留まりました。すると一瞬にして、故郷の景色が心に広がったんです。それが、僕と盆栽の運命的な出会いでした。そして大学卒業後、大宮にある盆栽村の老舗「蔓青園」の門をたたいたんです。
―修行中はどんなことをするんですか?
盆栽は「生きた芸術」ですから、まずは木のことを徹底的に学びます。僕も最初の4年間はひたすら水やりでした。水やりと言っても、樹種や木の年齢、鉢の深さ、土の硬さによって、水の量もまき方も全く違うんです。水のやり方をたった1日間違えただけで、取り返すのに3年かかることもあります。そしてキモチも大事なんです。以前、女の子にフラれて上の空で水やりしていたら、木も変な状態になっちゃった(笑)。でもそれが「生きている」ってこと。やったことがそのまま返ってくるんです。
盆栽を作るようになってからは、人と会って話すことを心掛けました。意外かもしれませんが、盆栽の表現にはいわゆる「型」がなくて、感覚的な部分が多いんです。もちろん一定のルールはありますが、教科書通りに学んだところで、パーフェクトな形の木が常に手に入るわけでもない。僕の師匠も「答え」をくれることは決してありませんでした。ですから、人からいろんな話を聞いて、感じて、自分の引き出しを増やしていこうと。
―盆栽と言うと、日本では年寄りの道楽というイメージが強いですが、海外ではアートとして幅広い世代に親しまれているそうですね。
はい。僕は2009年に初めて海外に行ったんですが、どの国でも「BONSAI」として知られており、予想以上の普及に驚きました。欧州、特にイタリア、スペイン、ドイツで非常に人気があります。最近は東欧にまで広がっていて、驚くほど腕の良い職人がいるんです。アジアや北南米にも愛好家が多く、蔓青園にもアメリカ人、フィリピン人の盆栽師がいます。日本からの輸出量もここ10年で10倍に伸びていますし、海外では今後も広がる可能性が十分あると思います。
逆に、日本の盆栽人口はバブル時代をピークに減り続けています。日本盆栽協会に登録している愛好者数は7千人を切り、平均年齢も70代。なのに、盆栽のスタイルや商売の仕方は何も変わってない。でも、だからこそ僕のような半人前の盆栽師にもできることがあると思っています。
―2013年には文化庁の文化交流使※に選ばれ、世界各国を回ったそうですね。現地ではどんな活動を?
リトアニア、イタリア、フランス、オランダ、トルコ、アメリカ、メキシコ、ドイツ、スペイン、オーストラリア、中国の全11カ国を訪ね、現地の愛好家たちや一般の人々に向けて、ワークショップやデモンストレーション、ギャラリー展示などを100回近く行いました。海外のワークショップには実に多様な人たちが来ます。年代も幅広く、レベルもまちまち、持ち込んでくる盆栽もバラエティーに富んでいる。その中で感じたのは、環境や文化の違いによって、盆栽の楽しみ方や位置付けがかなり変わるということでした。ですから、いきなり「日本の盆栽」を押し付けるのではなく、まずは楽しみながら理解してもらうこと、表現したいイメージを共有して一緒に作ることから始めました。
ミラノでは、僕自身が自由な発想で盆栽に向き合える機会にも恵まれました。例えば、ジャズバンドと共演しながらデモンストレーションしたり、城の中のワイナリーに盆栽を飾ってみたり、ギャラリーでカリグラフィー作品とのコラボ展示をしてみたり。いずれも日本では考えにくいことですが、固定概念を一度壊してみるのも必要なことだと思います。
メキシコでのデモンストレーションでは、熱心な愛好家たちから質問が相次ぎ、予定の終了時間を4時間以上もオーバーしたそう。
―海外のBONSAIと日本の盆栽では大きな違いがあるのでしょうか?
ありますね。木は生き物ですから、行った先の気候によって、手に入る木やコケの種類、温度・湿度の管理の仕方、手入れの時期はすべて変わるんです。
盆栽の趣向もお国柄によってかなり違います。中国ではとにかく大きいものが好まれるし、韓国は動きやたたずまいが規律正しいものが多い。フィリピンでは海に生えている木を盆栽にしていて、海水で水やりしてたり…(笑)。日系人が多いアルゼンチン、ブラジルでも独特な作風が見られます。ですから、海外では僕が逆に現地の方から教えてもらうことが多いんです。「郷に入っては郷に従え」で、その国ごとの流儀の中で作品を作り、それが評価してもらえたらうれしいですね。
平尾氏がイタリア滞在中に手掛けたオリーブの盆栽。
―そうなると、美しさや価値の基準にも幅が出てきて、伝統的な日本の盆栽から離れてしまいませんか?
僕はそれでいいと思っています。生き物が相手である以上、一つの様式をすべてに当てはめることはできないんです。つまり、盆栽をグローバルに広めようと思ったら、その国その国でローカルに広めていくしかない。まずは盆栽を知ってもらい、より深く学んだ後で「なるほど、日本の盆栽ってすごいな。広めていきたいな」と思ってもらえたら光栄です。でも最初から「日本文化としての盆栽」を入り口にしたら、それは単なる押し売りになってしまうのではないでしょうか。
伝統や格式はもちろん重要です。ただ、そこに固執しすぎると、楽しいはずの盆栽が狭い世界のものになり、気軽に始められなくなってしまう。僕は今、その敷居をいかにして下げるか、ということに取り組んでいますので、そのためには何でもしたいと思っています。
―2017年には4年に一度の「世界盆栽大会」が大宮で開かれますね。国内外から7万人の来場が見込まれるそうですが、大会に向けて盆栽界をどう盛り上げていきたいですか?
大会では、日本の盆栽の伝統と革新の両方を見せたいですね。伝統を単に維持するのではなく、新たなことに挑戦し続けてこそ、文化の継承ですから。本流は本流としてしっかり見せつつ、常に新しいことを提案し、多くの人を呼び込むことで、「さすが日本は盆栽文化の聖地だ」と言われたい。ですから、日本の方々にも大勢参加してほしいですね。特に若い人たち、これまで盆栽に親しむ機会がなかった人たちを呼び込みたい。僕も盆栽村以外の場所での活動をますます広げていきたいと思っています。
※文化交流使:日本文化への理解や文化人同士の国際的なネットワークの形成・強化を推進するため、文化庁が2003年から芸術家や文化人を海外に派遣している制度。
このインタビューは2014年3月31日に行われたものです。
聞き手:笹山 祐子(国際文化会館企画部)
インタビュー撮影:松﨑 信智
©2019 International House of Japan
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