最近よく耳にする「サードプレイス」という言葉。居酒屋、カフェ、本屋など、家でも職場でもない、第3の居場所のことだ。近年そうした場の価値があらためて注目されている。日本の居酒屋を都市の文化的空間と捉えて長年研究してきたマイク・モラスキー氏と、街の小さな本屋にサードプレイスとしての可能性を見出し、新たなビジネスモデルを提案している内沼晋太郎氏―両氏に「場」の魅力を語っていただいた。
[2014年9月]
1956年米国セントルイス生まれ。1976年に初来日。シカゴ大学大学院東アジア言語文明研究科博士課程修了(日本文学)。ミネソタ大学教授、一橋大教授を経て現職。専攻は戦後日本文化史。『戦後日本のジャズ文化』(2006年サントリー学芸賞)ほか、『呑めば、都』(筑摩書房)、『日本の居酒屋文化―赤提灯の魅力を探る』(光文社新書)など、居酒屋をテーマにしたエッセーや書籍を多数執筆。
1980年生まれ。一橋大学商学部商学科卒。国際見本市主催会社、書店勤務などを経て、ブック・コーディネーターに。書籍売り場のプロデュースや本にまつわるさまざまな企画を行う。2012年7月、東京・下北沢にビールが飲めて毎日イベント開催する本屋「B&B」を博報堂ケトルと協業で開業。著書に『本の逆襲』(朝日出版社)、『本の未来をつくる仕事/仕事の未来をつくる本』(朝日新聞出版)など。
街の本屋と居酒屋の意外な共通点
マイク・モラスキー: 内沼さんが東京・下北沢でB&Bという本屋を始めたきっかけは何だったんですか?
内沼 晋太郎: 2012年7月に開店して、もう2年になります。もともと本屋が好きで、ブック・コーディネーターと名乗ってアパレルや飲食店、病院の待合室などの書棚スペースに置く本を選ぶ仕事をしているんですが、ある雑誌の企画で全国の書店を見てまわったのをきっかけに、これからの本屋のあり方を考えるようになったんです。街の小さな書店がそこを行き交う人たちの知的好奇心を満たし、かつ経営的にも成り立つ形とは何なのか。そして博報堂ケトル代表の嶋浩一郎さんと共同で立ち上げたのがB&Bです。名前の通り店内でビールを出しているほか、毎晩トークイベントを開催したり、使っている家具は販売もしています。つまり、複数のビジネスを組み合わせて全体の経営を成り立たせ、本屋として収益を維持していこうというスタイルです。
30坪の店内に約7000冊の本が並ぶB&B。独特な棚構成は眺めているだけで読みたい本が広がっていく。
モラスキー: 面白い作戦ですよね。B&Bを訪ねてみて感じたのは、「一所懸命に想像しながら書棚を作っているな」ということ。本は選び方や分類の仕方によって人の認識がかなり変わりますが、B&Bの棚づくりは10人が見て10人とも違う視点で面白いと感じるものだと思います。遊び心が感じられるし、ある意味で客を信頼している。それが客に伝わるんだと思います。
私の目に真っ先にとまったのは庄野潤三。地味だけど品格があって、静かな余韻が残るような作家ですよね。決していま売れる作家じゃないし、あの時代(1950~70年代)においても特にベストセラーを書いていたわけではないのに。すごくいいなと思いました。
内沼: ありがとうございます。実際にお店に来たことがない人からは、本は片手間でやっているチャラい本屋と思われることが多いんですが(笑)、棚づくりには相当こだわっています。
僕は本との出会いって、人との出会いと同じだと思っているんです。B&Bではあえて宣伝用のPOPも付けていません。その理由はお客さんに棚の前に立ってもらって、自分の興味あるものを自分で発見してほしいからなんです。僕らのような、たった30坪の街の本屋がやるべきことは、「この本がほしい」ではなく「何か面白い本がほしい」という人に対して、いかに応えるかなんですよね。数ではAmazonや大型書店に到底かないません。だからこそお店は小さくても、そこに“閉じこめる世界”は広くないといけない。「この本の隣にこんな本が?!」っていう、ちょっとしたジャンプがあると棚を見ているだけで面白いし、新しい出会いもある。繰り返し足を運んでもらえるよう、中身は常に入れ替えています。居酒屋でその日たまたま隣に居合わせた人と出会うように、偶然性を感じる読書が広がってほしいんです。
モラスキー: B&Bのような本屋と、こじんまりした個性ある居酒屋に類似性を見出すとすれば、「今日は何か面白いことがあるかな。発見があるかな」という期待感を持って店に入ることです。仕事や家での単調な日常の中で、限られた時間をより充実したものとして味わいたいときに、ちょっとした期待感がほしいんですよね。顔なじみのいる店に行ってリラックスする、でも常に何か新しいことがあって刺激を受ける。それがサードプレイスと呼ばれる場所の魅力じゃないでしょうか。
サードプレイスってどんな場所?
内沼: いま「サードプレイス」というと、居酒屋や喫茶店、あるいは本屋のような場所を指すことが多いですよね。でも、それらをすべて一緒に考えていいのでしょうか。どこの都市にもあって、ふらりと立ち寄れる場所というと、コンビニやドラッグストアもある。ただ、他者との出会いやコミュニケーションがあるかという意味では、それらはまったく性質が違うように思いますが。
モラスキー: たしかに「サードプレイス」という言葉が流行るほど、定義が拡大されて、その有用性がなくなっていきますね。
ご存じのとおり「サードプレイス」は、アメリカの都市社会学者レイ・オルデンバーグによって広められた概念です。彼は著書“The Great Good Place”※の中でアメリカ社会のコミュニティーの衰退を嘆き、その対照としてフランスのカフェやイギリスのパブ、ドイツのビアガーデンなど欧州の代表的なサードプレイスにおける人のつながりを考察しています。
日本の場合はどうか。最も代表的なサードプレイスの一つは居酒屋、特に赤提灯のカウンターですね。都市の日常において、他者同士の気楽な交流がある数少ない場所と言えます。喫茶店は逆に一人で放っておいてもらうための場所だし、コンビニなどはマニュアル化されていて、店員も数カ月で入れ替わってしまう。
内沼: モラスキーさんはご自身の著書の中で、日本では銭湯もサードプレイスとして機能しているとおっしゃっていますね。
モラスキー: はい。私はサードプレイスというのは、基本的に人が個人として迎えられている場所のことだと思っています。店や店主に個性とかポリシーがあると、それに魅かれる人たちが集まるようになり、自然と「久しぶり」「いつもどうも」なんて会話が生まれる。そして時間の経過とともに、客が店主と一緒に店を育てていくんです。
コミュニケーションと言っても、別に積極的に他者との対話に挑まなくてもいい。例えば、私が通う居酒屋のある常連客は、ほとんど無口なんだけど、いつも楽しそうに酒を飲んでいる。つまり彼もその場に参加していて、場の雰囲気に貢献しているんですね。
では場の意義とは何なのか。同じメニューを家で作り、同じ本を自宅に送ってもらえたらそれでいいかと言えば、決してそうではない。都市生活というのは日常的に他人に囲まれています。だからこそ、居心地がよくて、自分自身を肩書きや立場を抜きにした一個人として認めてもらっていることを再確認できる「場」が大切なんじゃないでしょうか。
アメリカではスーパーのレジや地下鉄などで、赤の他人とたわいない話をする機会が結構あります。日本の場合、少なくとも東京ではそういう習慣がないし、街に均質化された店が増えたことで、そうした場がますます少なくなっています。
ネット時代だからこそ「場」を楽しむ
内沼: 僕が最近気になっているのは、個人情報の流出に過剰反応している人が多いことです。もちろんクレジットカード情報などは大事ですけど、昔なら当たり前に周りに知れ渡っていた情報にさえ騒いでいます。個人として認められたいという欲求がある一方で、自分が何者かを他人に知られることに対する異常な拒否反応があるように見える。それは日本人が他人と気軽に言葉を交わさないこととも関係しているのかもしれないけど、個がにじみ出ているような店には抵抗感があって、他人に話しかけられるのも嫌だから、チェーン店のほうがいいっていう人もいますよね。
モラスキー: そういう人たちも、ネット上では他人と積極的に交流しているのかもしれない。インターネットは名前も顔も隠せる安全地帯だし、コミュニケーションが非常に細分化されていて、同じものに関心を持っている人たちが集まりやすいですから。専門知識を身に付けるには非常に便利ですが、コミュニティーの場がバーチャルに限定されてしまうと、自分と全く異なる「他者」や、自分の生まれ育った環境に対する「異空間」を知ることにはつながらないですよね。リアルの場には、自分と同じ世代や立場、同じような育ちや嗜好の人ばかりが集まるわけじゃないですから。
内沼: 本屋の場合も、リアルな書店はもう必要ないと言われることがありますが、絶対にそんなことはないと思います。いまはインターネット技術の進歩によって、人と人、人とモノが簡単につながる時代です。本をめぐるコミュニケーション自体も、インターネットとともにどんどん形を変えていく可能性を秘めています。ただ、どんなに技術が進んでも、人はリアルな場で出会う機会を欲していると思うんです。そうした漠然とした欲求を持ちながら、気づいていない人も多いのかもしれませんが。
モラスキー: 新たなことに出会って初めて「こんな世界、こんな物の見方があったのか」と気づくことはよくありますよね。私は大学の授業の一環で、学生たちが自分で見つけた飲み屋や大衆食堂などに一人で入り、居合わせた人たちと交流してみるという課題を出しているんです。いろいろな人に出会い、違った見方に接することで、自分自身を知り、また相手の立場を想像する力が身に付く。それによって世界に対する理解が少しは広がったり、深まったりすると思うからです。コミュニケーションがバーチャル化している時代だからこそ、普段はつながりのない人たちとつながる「場」が、いっそう重要になっているのではないでしょうか。
※邦題は『サードプレイスーコミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』(みすず書房 2013年)
この対談は2014年9月18日に行われたものです。
編集・構成:国際文化会館企画部
撮影:相川 健一
©2019 International House of Japan
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