岡田 利規氏が語る
「超越する演劇」

1997年に横浜で演劇カンパニー「チェルフィッチュ」を旗揚げした岡田利規氏。その“超リアル日本語”とも形容される現代口語と、身ぶりに対する独特の解釈が特徴的な作品は、それまでの演劇界にパラダイムシフトをもたらす革新的な演劇として大きな話題となった。以降、常に現代演劇の最前線に立ち、国内外で高い評価を受けている岡田氏にお話を伺った。

[2016年7月]

岡田 利規(おかだ・としき)/演劇作家
1973年横浜生まれ、熊本在住。演劇作家/小説家/チェルフィッチュ主宰。2005年『三月の5日間』で第49回岸田國士戯曲賞受賞。07年、初の小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』(新潮社)を発表し、翌年第2回大江健三郎賞受賞。12年より、岸田國士戯曲賞の選考委員を務める。初の演劇論集『遡行 変形していくための演劇論』(2013年)と戯曲集『現在地』(2014年)を河出書房新社より刊行。現在はミュンヘン・カンマーシュピーレのレパートリー2作目を構想中。

 

岡田氏の演劇は、日本現代演劇の流れの中で考えると、80年代の主流だったスピードと躍動感あふれる小劇場ブームを経て、90年代に登場した平田オリザに代表されるような、舞台上で俳優が極めて自然に会話して動く“静かな演劇”のその先に位置付けられる。チェルフィッチュの俳優はまるで若者が道で他愛(たあい)もない話をしているかのように会話するが、その間身体をくねらせたり揺らしたりする。一見言葉と身ぶりが合致しないようなその表現は、岡田氏が日常の身ぶりを誇張や反復によって“超自然”へと変換したものだと言える。そしてそれは現代演劇に新たな潮流を生み出した。

岡田氏は2005年に、『三月の5日間』で、新人劇作家の登竜門であり、演劇界の芥川賞とされる岸田國士戯曲賞を受賞。そして2007年に同作が、先駆的なラインアップで知られ、ヨーロッパ現代舞台芸術界の最注目フェスティバルと称される「クンステン・フェスティバル・デザール」(ブリュッセル)にて初めて海外上演されたのを皮切りに、フランスやイギリスなど欧州諸国をはじめ、中東、北米、アジア・・・と世界各地でさまざまな作品を上演している。最近では、ドイツ有数の公立劇場ミュンヘン・カンマーシュピーレのレパートリー作品の演出を3シーズンにわたって務めることが決定。1作目の『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』が、今年6月末に現地の劇場専属の俳優と共に制作・上演され、好評を博した。


『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』 ©Julian Baumann
 
―ミュンヘンでの観客の反応はいかがでしたか?

悪くなかったと思いますね。ミュンヘンは経済的にも豊かなところで、だから基本的に保守的な街なのだそうです。そうした場所のお客さんにとっては僕のやっているような、せりふを言いながら奇妙な動きをする演劇は、今まで見たことのないものを見たという感じだったようで、面白がってもらえた気がします。チェルフィッチュは今までドイツで何度も上演していますが、これまでは日本人の俳優が日本語で話す作品だったので、今回は日本人ではなく現地の俳優がドイツ語で上演したという点で新しい試みでした。また、公共劇場のレパートリーとして上演されることが決定したことは、これまでの自分の活動の中で見ても、大きな意味を持ったと思います。

―現地で演出していて苦労されたことは?

ドイツ人や外国人との仕事だからといって、特に苦労したことはなかったです。僕にとっては「せりふと身ぶりが一見切り離されたようにみえる関係」というのが何より重要な要素なのですが、それを俳優に伝える方法、彼らがそれを理解するに至るプロセスというのは、僕にとって新しいものでした。たぶん俳優教育が充実しているからなのでしょうけれど、彼らは未知のものに出会ったときに、まずはそれを頭で理解し、何度も自分で試行錯誤して分析していきながら、だんだん感覚を用いて体現できるようになっていくんですね。力のある人たちだなって思いました。

―ドイツでの上演を経て今思うこととは?

僕を呼んでくれた、ミュンヘン・カンマーシュピーレの新芸術監督マティアス・リリエンタール氏は、国際性を取り入れることでドイツ演劇の伝統を壊し、先に進めていこうとしている人です。外国から演出家を呼んでレパートリーを作るという動きによって、演劇界に新しい流れが生まれるかもしれないと期待しています。

彼がベルリンのHAUという劇場の芸術監督だったときに招かれて公演したのが、僕にとって初めてのドイツでの上演だったのですが、それ以来持っている印象は、お客さんが演劇を見る時に、単に「日本のものを見る」のではなく、今の自分にとってこの舞台は何なのかということを大事にして見ている、というものです。演劇を見ることに関するリテラシーの高さを実感しています。そういうところで自分の作品を問えるというのは、演劇をやっている者としては非常にやりがいを感じることです。

―昨年は文化庁の文化交流使として中国、韓国、タイに滞在され、その際に韓国で制作された『God Bless Baseball』は、日韓の国民的スポーツである野球を題材に両国とアメリカとの関係性を問う作品として話題になりました。

『God Bless Baseball』は日韓合作の作品で、僕にとって初めて日本語を話さない俳優たちと仕事をする機会でした。日韓を国単位ではなく、ひとまとめに捉えた結果、僕の従来の作品とは違って、シニシズムに欠けるものになったのですが(編集注:岡田氏の作品はシニカルな視点が面白いと評されることが多い)、それはむしろ良かったと思っています。僕は日本人だし、日本社会を描いた作品をつくるときは、そこにシニシズムを効かせることができる。つまり「ある態度」をとれるわけですが、日本と韓国の話となれば、僕が韓国のことをよほど知らない限り難しいからです。


『God Bless Baseball』 ©Asian Culture Center-Theatre/Korea
 
この作品は日韓米の関係をテーマにした一見わかりやすいものになっただけに、東京や光州の人が見たら「こんな直接的な、あからさまなものを」と思うかもしれないけど、アメリカ人の中には、ある意味でものすごく抽象性の高い、多様な解釈に開かれた芸術表現だと感じる人も多くいたんです。表現に対する受け取り方は国や都市、上映される形態、劇場、客層、タイミングによってさまざまに変わりますからね。

―異なる文化や社会の人たちと共同で作品を作り上げたことで、ご自身の創作に受けた影響は?  

10年前、つまり海外で上演する機会を得る前の僕には、自分のやっていることは日本人としかできないし、それ以外の人とするつもりはない、という一種のかたくなさがありました。自分の作品は日本語だし、その言葉の内容と身ぶりとの関係がすごく重要なので、日本語がわからなければ楽しめないし、国内の内容しか扱っていないのに、それを海外で見せて意味のあるものになるとは全く思えなかったんですね。でもやってみたら、そんなことはなかった。

演劇にとって言葉というのはさまざまな要素の一つでしかないので、例えば日本語特有の言い回しが他言語に翻訳されることによってそぎ落とされてしまう、といったことは大して気にならなかった。それはテキストが観客に与えられる情報の全てではないからです。また身ぶりに関しても、ほかの国の人からも面白いものは出てくるし、ドメスティックと思っていたことが案外グローバルというか、ユニバーサルなことなのかなということに気がついていったんです。僕の中にあった守りの姿勢みたいなものが、約10年のスパンの中で少しずつ開いていったのでしょうね。

―演劇を通じて何を伝えたい?  

僕はいつも、ある特定の問題意識に基づいて、ある特定の形の、特定の話を作るわけですが、それがある文脈の中に置かれた時に、「何か」が観客の中から引き出されて、「何か」を起こすことができるだろうと期待しています。これは僕自身が今まで数多くの舞台を見て経験してきたことでもあるから、信じられる。それが演劇をやることの意義だと言えます。要は、想像力に働きかけたいということなんです。

演劇というのは、想像力を前提にして成立しているものなんですよね。そういう意味で演劇は、例えばテロリズムと似ているところがあります。テロリズムって、人が持っている恐怖心を利用して、その人の想像力を操作しようとする行為だと言えると思うんです。では、テロに屈しないというのはどういうことか? それは、自分の想像力が、恐怖心によって強制的にディレクションされてしまうこと以外の働き方がある――その可能性を絶対に手放さないということだと僕は思うんです。そんなふうに想像力を鍛え続ける必要が人にはあると思うし、劇場はそのための場所として機能できる。僕はそれに寄与できる作品をつくっているつもりですし、これからもそうしていきたいと思っています。

 


このインタビューは2016年7月5日に行われたものです。

聞き手:小澤 身和子/笹山 祐子(国際文化会館企画部)
インタビュー撮影:黑田 菜月
©2019 International House of Japan


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