土井 香苗氏が語る
「多様性と調和のある日本へ」

「多様性と調和」――これは2020年東京オリンピック・パラリンピックが掲げる大会ビジョンの一つ。開催を2年後に控え、果たして日本は多様性と調和のある社会に向かって前進しているだろうか。弁護士として国内外の人権問題に長年取り組んできたヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表の土井香苗氏に、世界から見た日本の課題とその背景、今後の展望について伺った。

[2017年11月]

土井 香苗(どい・かなえ)/ヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表
1975年神奈川県生まれ。ヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表。東京大学在学中の96年に司法試験合格。2000~16年日本で弁護士として活動、難民支援や難民認定法改正などを訴える。06年ニューヨーク大学ロースクール修士課程(国際法)修了、07年米国ニューヨーク州弁護士に。08年9月から現職。著書に『巻き込む力 すべての人の尊厳が守られる世界に向けて』(小学館、2011年)、『“ようこそ”と言える日本へ』(岩波書店、2005年)など。

―来る東京五輪のビジョンとして掲げられている「多様性と調和」は、人権と深く関わる問題ですね。国際的な観点から、今の日本の人権状況をどう見ますか?

国際的に見て、日本がとりわけ悲惨な差別や排除が行われている国かと言えば、決してそうではありません。ただ、女性や民族的マイノリティー、LGBTのようなセクシャル・マイノリティー、障がい者、難民を含む外国人など、さまざまなカテゴリーの人たちの権利が侵害されている現状があるのは事実。特に制度面ではかなり遅れています。多くの国では基本的な人権、つまり人間が生まれ持つ特性によって不合理な差別や排除を受けないための法律があり、それを推進する役所や監視する機関があったり、違反があれば調停するといった執行のシステムが整っています。「人権委員会」と呼ばれるそうしたシステムを持たない国は、今や先進国の中では珍しいほどです。

―土井さんは五輪組織委員会の検討委員も務めていらっしゃいますね。

はい。環境や人権の問題を検討する「サステナビリティー(持続可能性)」分野に関する委員を務めていますが、なかなか苦労しています(笑)。環境分野は役所から民間まで層が厚い一方、人権は役所の中に専門性のある人がほとんどいないんですね。「多様性と調和」を大会のメッセージに掲げながら、それを支える組織委員会に専門家がいないのは残念なことですが、まさに日本の数十年の遅れを如実に語っていると思います。

―ヒューマン・ライツ・ウォッチ(以下、HRW)ではどんな活動を?

HRWは世界90カ国で活動している国際人権NGOで、徹底した調査をもとに、政府に対する政策提言やロビー活動、メディアへの情報発信を行い、世界を変えていくことを目指しています。多様性とインクルージョン、戦争・紛争下にある非戦闘員の人権保護、独裁政権下での人権保護の3つを活動の柱に、さまざまな問題の実態を調査し、年間約80本の報告書を発表しています。日本国内の問題に関する直近の報告書(2016年5月発行)では、学校におけるLGBTの子どもたちへのいじめと排除に対する実態を伝えました。

―LGBTについては、日本でも社会的な認知度が進んできた印象がありますが?

そうですね。2015年の渋谷区によるパートナーシップ証明書交付は大きなニュースになりましたし、ここ5年ほどで社会の認識や制度がかなり改善されてきました。この分野は特に世代によって大きな意識の違いが見られるのですが、若い世代がどんどん世の中の雰囲気を変えている部分もあると思います。

とはいえ、問題はまだまだあります。例えば2004年に施行された性同一性障害特例法。これは心と身体の性が一致しない人に、戸籍上の性別変更を認める法律ですが、変更には厳しい条件がいくつも付けられています。HRWがとりわけ問題視しているのが、断種手術(生殖性が永遠にない状態にするための不妊手術)の強要です。誰もが持っている「性と生殖に関する権利」を永遠に奪うことでしか、その人の性別を認めないというのは、明らかな人権侵害ですし、それを手術という方法で行うのは一種の拷問だとの見方を国連の専門家も示しています。先進国でこうした義務を課している国は減ってきており、日本も早急に改正する必要があります。


2017年、ジェンダーと多様性を考えるシンポジウムにて (写真提供:GLOBIS知見録)

―教育現場での実態をどう見ましたか?

学校という環境下では教師の存在が非常に大きいわけですが、2016年の調査当時は国のいじめ対策の指針の中にLGBTの子どもたちの位置づけがなく、そうした子どもの存在に気づいていない先生方がたくさんいました。トイレや更衣室などに関する配慮はおろか、教師自らが暴言を浴びせていたケースもあります。HRWでは教職員の研修や教材開発の義務化を提言しました。今では指針も改定され、LGBTの子どもの存在を明示した上で対応を求めるなど、前向きな動きが見られ始めています。ただ、教育関係者一人ひとりに働きかけるのにはどうしても限界がありますから、生徒が現場の先生次第で運・不運を左右されることのないよう、やはりきちんとした法的システムを整備することが必要です。

―なぜ日本では法整備が進まないのでしょうか?

かつて1990年代に、人権擁護の実行を徹底させるため、人権委員会とかオンブズマンを立ち上げようという世界的なうねりが起きて、多くの国で性差別や人種差別、障がい者差別などを禁止し、被害者を救済する制度ができたんです。日本も当時はその動きに呼応して、自民党内でも人権擁護法案が検討されましたが、結局実現しませんでした。折しも北朝鮮の拉致問題がクローズアップされ、在日コリアンの方々への風当たりが強い時だったんですね。当初は報道機関による人権侵害を対象とした規制も盛り込まれていたため、メディアが反発した経緯もありました。

その後も何度か法案化の波が起こり、法務省なども努力したのですが、残念ながら政治的反発にあって成立に至っていません。法律がきちんと整えば、それに違反する事案が社会的なニュースになり、それによって世の中全体に発信されるメッセージが変わり、人々の行動様式が変わってきます。だからこそ法の整備が重要なんですが。

―土井さんは、なぜ弁護士から人権活動家の道に?

最初に弁護士を志すことを決めたのは、中学生の時に犬養道子さんによる難民キャンプのルポ『人間の大地』を読んだことがきっかけでした。その後、色々なアプローチがある中で、「人権」という切り口から世界の問題に挑もうと思ったのは、まだ20代半ばの弁護士になりたての頃に、アフガニスタン難民の収容事件やサラリーマンの痴漢冤罪事件などを担当していた時です。自分とほとんど歳の変わらない人たちが、不当に自由を拘束され、希望を摘み取られる辛さを直に感じました。

難民キャンプで食料を配る活動に携わったこともありますが、当時の私には「物をあげる」という行為が上から目線に思えて嫌だったんです。一方、人権擁護の活動は、被害者と一緒になって下から上へ働きかける運動ですので、そちらの方が私の性には合っていました。

―難民の受け入れは日本ではほとんど進んでいませんね。2016年には申請者数が1万人を超えたのに対して、認定数はたった28人でした。この状況をどう見ますか?

弁護士のキャリアを難民問題からスタートさせた人間として、20年前から状況が全く変わっていないのは本当に残念です。個々の事例を見ればそれぞれ理由があるとは思いますが、根本的な原因は、難民はおろか、外国人を受け入れていく社会になろうというメンタリティーが日本にないことだと思います。日本政府は、高度人材に関してさえ「例外的に入国していい人たち」と捉えているんですね。一般人は別として、特に一部の政治家の中には、日本国というのは日本古来の民族だけでできているべきだ、という非常に強い背骨のようなものがあるように感じます。

―国際的な難民条約に加入しているにもかかわらず?

同じ条約でも、国によって解釈や運用が異なるんです。条文の基準自体が、母国に戻ったら迫害を受ける恐れがあると本人が恐怖を持っていて、かつ、そう信じるにつき十分な理由があること、というような判断の難しいものになっています。将来の迫害の可能性をどうやって決めるのか、かつ本人がそう信じる十分な理由をどう立証するのかという点で、解釈に幅があり得てしまうわけです。

そもそも難民の立証というのは、未来を予測するという意味で難しいものなんですが、日本の場合は迫害の認定レベルや迫害の証拠を求めるレベルが非常に厳しく設定されています。もしアフガニスタンから逃れてきた人が、母国には証拠があると主張しても、それを持ってこなければ認定してもらえません。国際的には「そんな危険な中、持って来られなくて当然」とされるような場合でも、日本はなかなか認めないわけです。中には経済目的だけを理由とした不正な申請もあるとは思いますが、他国なら難民として認められたかもしれない人は相当数いると思います。

―HRWは親が育てられない子どもたちの人権にも取り組んでいますが、こうした権利は日本ではあまり認知されていませんね。

子どもには家庭で暮らす権利があることが、「子どもの権利条約」という国際条約で定められています。施設に収容して集団養育するのは、国際的には最終手段なんですね。しかし日本では8割以上の子どもが施設にいて、家庭で暮らしていない。里親のもとで暮らせる子どもは約15%と、難民同様に国際的に見て非常に低い割合なんです。戦後何十年も続いてきた実態です。これに対し、2016年の児童福祉法改正では、HRWの提言などを受けて、子どもというのは里親や養子縁組を含む家庭で育つものであり、施設に収容するのは何らかの理由で家庭が適切ではない例外的な場合だけであることが明記されました。

ただ、状況はあまり変わっていませ ん。子どもは声を上げられないし、日本では施設収容を基本に社会的養護業界がつくられてきました。迅速な里親移行が必要ですが、施設や地方行政の多くが反対しているのです。また、里親になること自体があまり認知されていない。多くの人に、里親になることを社会貢献の一つと捉え、人生の選択肢として考えてもらえるよう、政府と一緒に働きかけていかなければと思っています。

―最後に、多様性ある社会を実現するには何が必要でしょうか?

日本のように比較的多様性の少ない社会では、差別を受けるような人々が周りに多くないという理由で、自分事として考えにくい面はあると思います。ただ、先ほど挙げたような代表的なマイノリティーではなくとも、人は皆それぞれ他人と違うところがありますよね。それに、自分はマジョリティーだと思っていても、例えば妊娠、加齢、病気やケガなどさまざまな事情で、それまでとは違う弱い立場に置かれる可能性もあるわけです。そうなっても自分の能力をフルに生かせる社会であってほしいと思いませんか。

そうしたマインドを社会に広げていくためにも、2020年の五輪を“人権五輪”と呼べるようにしたいですね。2014年のソチ五輪ではLGBTの問題で批判が高まり、先進国の首脳の多くが開会式を欠席する事態になりました。また過去にもスタジアムを作るために多くの人を強制退去あるいは奴隷労働させるなど、重大な人権侵害が起きています。これを受けて、ここ10年ほどの間、五輪をスポーツが人権を促進するようなイベントにしたいという世界的な動きがあるんです。当然、東京大会に対する期待も大きい。東京で人権五輪を高いスタンダードで実現して、そうした期待に応えるとともに、ぜひ日本の状況を変える追い風にしたいですね。

 


このインタビューは2017年11月29日に行われたものです。

聞き手:笹山 祐子/小澤 身和子(国際文化会館企画部)
インタビュー撮影:相川 健一
©2019 International House of Japan


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