日本はなぜ米英との破滅的な戦争に走ったのか。なぜ通告は遅れ、日本は宣戦布告なしに真珠湾を攻撃したと米国から非難されることになったのか。
この画期的な著書で、元外交官の井口武夫氏は外交の失敗に注目し、日本の対米最終覚書とワシントンの日本大使館、ひいては米国務省への伝達の遅れを徹底検証している。著者によれば、軍部(と恐らく外務省)の人間が共謀し、真珠湾と東南アジアへの奇襲攻撃を悟られないよう、外務省からのワシントンへの打電を遅らせるとともに、ルーズベルト大統領から天皇へのギリギリの段階での親電に対応する必要があったことも打電の遅れにつながった。日本の敗戦後、極東国際軍事裁判(東京裁判)に直面すると、個人的な責任を回避したり、上官を守ったりするために、この共謀は隠蔽された。こうして、責任問題の全体が沈黙と矛盾する証言の迷宮に取り残された。
戦後の陰謀史観は、日本が戦争に踏み切ったのはルーズベルトが日本を挑発したためであるとし、東京裁判の「勝者の正義」を疑問視した。また、交渉打ち切りの通告が遅れた責任はワシントンの日本大使館にあるとされた。著者は、こうした神話は政治的には好都合で、心理的には慰めとなるかもしれないが、「勝者の歴史」や「敗者の歴史」を越えて公明正大な歴史的真実を明らかにすることが-自国と外国の、自身にとっても将来の世代にとっても-極めて重要である、と信じている。
本書への推薦文
井口武夫氏は、軍の圧力の下で、日本外務省は適切な最後通牒を撤回し、代わりに交渉打ち切りを米国に通告する決定を下しただけでなく、ワシントンの日本大使館への打電も攻撃まで15時間遅らせた、と述べている。著者は、外務省が野村吉三郎大使を攻撃計画の蚊帳の外に置いたと説得的に論じている。——『ジャパン・タイムズ』2008年12月8日社説