本イベントは終了しました。レポートはこちら
- 講師: 池内 恵(東京大学准教授)
- 日時: 2015年5月19日(火) 0:15~1:30 pm (開催日程が変更になりました)
- 会場: 国際文化会館 岩崎小彌太記念ホール
- 用語: 日本語 (通訳なし)
- 会費: 一般:1,000円、学生:500円(学生証をご提示ください)、国際文化会館会員:無料
- ※昼食は含まれておりませんので、各自レクチャー前後にお済ませください。
- 定員: 200名 (要予約)
略歴:池内 恵(東京大学准教授)
レポート
池内氏は、イスラーム国とはグローバル・ジハードという思想と行動が発展する中で現れたものの一部であるという考えをもとに、ジハードとは何か、グローバル・ジハードへと発展した経緯、そして世界情勢の変動と共に今後のイスラーム国をどう見るのかについて語った。
まず池内氏は、イスラーム国を考える際には、イスラーム政治思想史と、比較政治学、国際政治学などの国際関係論を併用させることが重要だと指摘し、イスラーム国を構成する人々の主体的認識の枠組みをイスラーム政治思想史で明らかにしていくと同時に、政治変動を追うことが必要だと述べた。
♦イスラーム教の教義と深く係わる前近代のジハード
イスラーム教信仰の一部を形成するジハードは、近年のグローバル化のなかで、どのような変容を遂げグローバル・ジハードに発展したのか。そもそもジハードとは何なのか。イスラーム教では、7世紀に預言者ムハンマドがアラビア半島で下した啓示、すなわち普遍の真理と法がコーランに書き記されているとされる。
コーランにも、コーランを補填する規範であるムハンマドの言行録ハディースにもジハードについて詳述されており、イスラーム教徒が帰属する宗教政治共同体(ウンマ)と異教徒の間の恒常的な対立関係・支配従属関係として、ジハードはイスラーム法学で定式化されている。ムハンマド自身が指揮し、行った遠征の記録がハディースに多く含まれ、『預言者ムハンマド伝』として定式的な歴史認識となっているため、これを否定することは信仰者にとって難しい。
♦個人義務と集団義務
イスラーム教では神はアラビア語で啓示を下したとされ、7世紀に下されたコーランの啓示がそのままの文言で確定し固定化されている。各世代で7世紀のコーランの読み方が教えられ、暗唱されてきたので、現代のアラブ人はコーランをそのまま読める。イスラーム圏には非アラブ人も含まれるが、アラブ世界がイスラーム教の解釈で圧倒的に主導権を握るのは言語の要素が大きい、と池内氏は解説した。またイスラーム教が神の言葉は法であるとすることから、導かれる教義は、人間は神の法に従って生きていく義務があるという義務論的な考え方になる。それは人権論を基とする近代思想とは対照をなす。
イスラーム法学書には、ジハードは信仰者にとっての義務に数えられており、詳細に規定されている。イスラーム法学では義務には個人義務と集団義務がある。集団義務は、ウンマ(宗教共同体)の誰かがどこかで行えば、神に対してその義務を履行したことになるというものだが、個人義務は一人一人のイスラーム教徒が実践しなければならないものとされる。ジハードの義務については、目の前に異教徒の軍勢が迫ってきていたり、イスラーム教徒が軍の兵卒として前線に立っていたり、世界からイスラーム教が消滅するような危機的状況にある時、それぞれのイスラーム教徒がその場で実践しないとならない。池内氏によれば、前近代には、イスラーム教団全体のうち誰かがどこかでジハードしていれば、他の信者は免除される集団義務の範囲にあると解釈される場面が大部分だったという。
♦グローバル・ジハードへの発展
イスラーム世界が国際社会において優勢な立場にいた時代は、支配下の異教徒はイスラーム法の規定に従っていたが、西洋に端を発して19世紀までに世界に広がった近代の国際秩序の下で、逆にイスラーム世界の側が、近代の国際秩序に従わざるをえなくなった。しかし正しい宗教を守り広めるための戦争のみが正当と規定するイスラーム法学と、戦争を違法とし、自衛権による例外を認め、西欧の歴史的経験から宗教紛争を回避しようとする近代の国際法規範とは、根本から対立する。
よって状況に適応するために、近代の初期においてはコーランや学術書への排他的なアクセス権を持っていた宗教学者たちが、前近代のジハードをめぐる法学解釈様々な要素から、近代に適合しそうな部分を強調し、ジハードとは「努力であり、心の純化」であると再解釈した。さらに、ジハードは「自衛戦争」であったので、近代の国際法規範に合致するどころか、先駆的にそれを実現していたと論じていった。それを池内氏は「ジハード回避説」と呼ぶ。
しかしジハードは自衛だったという議論は、近現代にジハードを再開するべきだという議論にむしろ力を与えた。過激派・ジハード主義者は「自衛」の意味を拡大解釈し、「イスラーム教という神が人類に与えた最後の普遍真理の拡大を妨げる勢力を除去するための戦争」は全て自衛だと捉える「ジハード再開説」を唱えるようになった。現在までこの二説が対立しており、イスラーム国は「ジハード再開説」をとる勢力の系譜に連なる。政府に近い宗教学者が近現代の国際環境に合うように再解釈をしても、それに対抗して平信徒が近代教育を通じて読み書き能力を高め、印刷メディアが発達して宗教テキストに誰でもアクセスができるようになったことによって、過激な解釈を信徒の各自が行えるようになったことが原因だと池内氏は解説した。
さらに池内氏は、グローバル・ジハードに発展していく過程で重要な年として、ソ連がアフガニスタンに侵攻した1979年を挙げた。ウンマは潜在的にグローバルなものなので、アフガニスタンで危機が起これば、そこに世界中からジハード戦士が向かって戦うというのは自然なことであるが、それを可能にするメディアや交通手段が整った、社会学的変化が背景にあった。ソ連のアフガニスタン侵攻は東西冷戦の最前線とされたが、イスラーム教徒の視点からはジハードの一環として捉えられた。1980年に米放送局CNNが開設され、アフガニスタンでジハードが行われているということが世界のイスラーム教徒に可視化された。このようなメディアの変化も、ジハードがグローバル・ジハードに発展した経緯において重要だと池内氏は述べた。
♦イスラーム国は拡大するのか
湾岸戦争後の90年代前半、米国による単極覇権が特に中東で明確になり、各国が米国との関係強化を進める中で、誤った世界秩序の根源は米国だという考えを抱く反体制組織も中東で広まり、米国をグローバル・ジハードの標的とするようになり、2001年の9・11事件に結びついた。しかし9・11事件を契機に米国が全力で対テロ戦争を行ったことによって、グローバル・ジハードの拠点や指導者と組織は世界各地で徹底的に追い詰められた。そこで状況に適応した新たな組織倫理が生まれ、アル=カイーダは各地に分散してそれぞれに小組織を形成していった。各地の小組織や個人が、相互に連絡や協力なく、自発的に行うテロリズムが「個別ジハード」と呼ばれ主要な手段となった。
しかし「個別ジハード」は米国の対テロ戦争の圧迫を受けて止むを得ず採用した手段であり、最終目的ではなく、あくまでも将来の領域支配とカリフ制国家再建を目的としていた。かつてのアフガニスタンのように、内戦で秩序が崩壊して武装組織の聖域が現れたり、グローバル・ジハードの組織を受け入れ匿うターリバーン政権のような政権が成立したりすれば、そこに世界各地からジハード戦士が移住し、大規模に組織化し、領域支配を行うことが、2000年代半ばから目標とされてきた。このようなグローバル・ジハードの発展の結果、最新の形態として現れたのが「イスラーム国」であるというのが池内氏の見解である。
2011年の「アラブの春」以降、各国の中央政府が揺らぎ、「統治されない空間」が多く出現した中東に、グローバル・ジハードを目指す組織が領域支配を行うことが可能な地域が現れた。「アラブの春」で民主化を試みる中で、制度の枠内で政治参加を目指す穏健なイスラーム主義勢力が一時的に台頭し短期間で挫折した結果、過激派が選択肢として残り、一般市民が過激派に入らないまでも黙認する場面が出てきた。
池内氏は、今後の「イスラーム国」の広がりには二つのメカニズムが同時に働くと指摘した。シリアやイラクやイエメンやリビアなどでは地理的に「拡大」し、勢力を伸ばしていこうとするが、これは中央政府と関係の悪い地方や宗派・民族が「イスラーム国」を支持あるいは黙認するといった好都合な政治状況が得られなければならないので限界がある、とする。同時に、地理的に連続しないまだら状の空間にグローバル・ジハードのイデオロギーに呼応する組織が自発的に分散的に現れる「拡散」によって広がっていくことも考えられると述べて、講演を締めくくった。