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- 日時: 2014年12月12日(金) 1:00~5:30 pm
- 会場: 国際文化会館 岩崎小彌太記念ホール
- 主催: 公益財団法人国際文化会館、公益財団法人サントリー文化財団、
公益財団法人渋沢栄一記念財団 - 用語: 日本語/英語 (同時通訳つき)
- 会費: 無料
- 定員: 150名 (要予約、先着順)
第一次世界大戦が勃発してから百年。サラエボの銃声に始まり、ヨーロッパさらには全世界を巻き込み4年以上続いた大戦は、19世紀以来の国際社会の構造を根底から揺さぶり、20世紀に始まる現代世界を生み出しました。しかし、百年をかけて育んだ国際社会は十分に強靭ではなく、今日中国の台頭、クリミア・ウクライナの動乱といった第一次世界大戦的テーマの復活が告げられています。現代世界の再認識が必要ではないでしょうか。
基調講演: | デイビット・A・ウェルチ/ウォータールー大学 |
中西 寛/京都大学 | |
パネリスト: | 井上 寿一/学習院大学 |
岩間 陽子/政策研究大学院大学 | |
細谷 雄一/慶應義塾大学 | |
司会および総括: | 五百旗頭 真/熊本県立大学 |
レポート
本講演では基調講演(各40分)に続き、パネリスト発表(各15分)、登壇者全員によるディスカッション、モデレーターによる総括が行われた。各発表の要旨は次の通り。
◆基調講演1:第一次世界大戦が今日に与える教訓(D. ウェルチ教授)
歴史家であり国際政治学者でもあるデイビッド・ウェルチ教授(カナダ・ウォータールー大学)は、第一次世界大戦の原因や結果を再びひも解き、現在の情勢と照らし合わせて考えることには意義があるとし、東アジアの現状を引き合いに出しながら解説した。
氏は、第一次世界大戦の原因の可能性として、1914年当時、ヨーロッパのリーダーたちは意思決定力が乏しく、情報が欠如していたこと、セルビアの民主主義の台頭やロシアの急速な発展などの脅威を感じたオーストリア=ハンガリー帝国とドイツにとって、この時期に開戦することは必然であったことなどを挙げた。さらに、当初はフランスで勃発すると予測されていた紛争がバルカン半島で起きたという予想外の展開が当時人々を驚かせたことを指摘し、発火点は一つではなかったと述べた。そして当初オーストリアがセルビアに圧力をかけたのを機に戦争が勃発したのにもかかわらず、一度開戦してしまうと、ヨーロッパのリーダーたちは、本来の目的を見失っても戦略を軌道修正せずに、状況が悪化すればするほどますます攻撃を強め、結果的に大惨事を招いたと指摘。当時多くの人はこの戦争があれほど長引き、大規模になるとは予測していなかったと説明した。
現在、東アジアでは日中・米中関係を中心とした緊張が高まり、何らかの形で紛争が勃発するのではないかと懸念されている。氏はさまざまな例を挙げながら、第一次世界大戦を振り返ると、時代や背景は異なれども、現在の東アジアには朝鮮半島、東シナ海、南シナ海という紛争の発火点となりうる場所がいくつもあり、米中両国の政治情勢、軍事情勢を考慮しても、いつ紛争が起きてもおかしくないと主張した。最後に、大戦は大勢の犠牲者を出し、コストがかかりインフレを生むということを人々は学んだと述べ、さらに、多くの人は1914年のヨーロッパ諸国が保有していなかった核兵器を脅威に感じ、軍事対立をなるべく回避しようと努力する傾向があると、現状への希望に触れて講演を締めくくった。
◆基調講演2「刻印された歴史認識:長い20世紀と第一次世界大戦」(中西寛教授)
国際政治学者である中西寛教授(京都大学)は、これまでの研究は1914年前後の出来事のみを起点として第一次世界大戦を捉え過ぎているとし、そのような歴史意識に摘み取られてしまった同大戦の原因や態様を再び考察することが、同大戦を正当に評価することにつながり、国際政治を含めた人類史を正確に理解する鍵になるという持論を述べた。
まず氏は、第一次世界大戦に関して長年にわたり膨大な研究がなされてきたが、原因や意義付けの合意には至っておらず、分析が1914年6月から8月にヨーロッパで起きたことに集中し過ぎていると指摘。第一次世界大戦をより十全に理解するには、時間的、空間的補助線を引くことが重要だと主張した。
氏は19世紀と20世紀を分かつ歴史的断層は、第一次世界大戦よりもかなり前に存在するとし、第一次世界大戦はその断層から生じた帰結の中の最大級の一つに過ぎないと主張。そして1890年には、ドイツ外交を「世界政策」に転換させたビスマルクの辞任や、シベリア鉄道着工の本決定など地球全体を政治の場とみなす認識が広まっていたことを示す重要な変化があったとして、1890年を20世紀の始まりとする見方が有効であるという見解を述べた。また、これらの変化とヨーロッパでの開戦は直接関係してはいないが連動しており、世界各地の政治運動、反乱、内戦が結びついて第一次世界大戦勃発に至ったと説明した。
また氏は、第一次世界大戦前に、すでに地球規模の政治的地殻変動が生じつつあり、同大戦の開戦の原因について考える際は、ヨーロッパ内の論理だけではなく、地球規模の勢力均衡の登場を考慮に入れる必要があると述べた。ヨーロッパの伝統的な勢力均衡下での平和維持メカニズムは、1914年にはすでに機能不全に陥っていたが、この時代はヨーロッパ大国政治の自己完結性という意識がまだ残っており、地球規模の大国間政治という発想に完全に移行するには至っていなかった。従ってこうした構造的な変化と意識のずれこそが、第一次世界大戦の直接的原因の背景にあったように思うと語った。
◆パネリスト発表と総括
パネリスト発表では、まず政策研究大学院大学の岩間陽子教授が「歴史のヨーロッパ完結性」を見直す必要があると指摘。中西教授同様に、世紀の変わり目にはすでに欧州とアジア、そしてアフリカが連関しながら政治が展開していた点を強調した。それを象徴する一つの事象として日英同盟を挙げ、大英帝国の力がすでにほころびを見せ始めた中で、ロシアの南下を嫌う大英帝国は日本をうまく利用したと説明した。しかし日露戦争に勝利した日本が極東地域で勢力を拡大させると、米国やニュージーランド、オーストラリアなど大英帝国に近しい国々が強い警戒感を示すようになり、結果的に大英帝国による覇権の平和的後退の一つのステップが失敗に終わったと述べた。
慶應義塾大学の細谷雄一教授は、異なるコンテクストを理解せずに安易に第一次世界大戦から教訓を得ようとすべきではないとしながらも、現在の東アジア情勢との類似性を浮かび上がらせた。大戦の要因として、各国が非常に楽観的に情勢を判断し、自国に都合の良い軍事計画を立てたため、結果的にまったく意図していない方向に漂流していったこと、2度にわたるバルカン危機がヨーロッパ協調によって解決できたことから「危機は回避できる」という誤った認識が軽率な軍事行動につながったこと、さらに国際秩序の維持に必要な3つの要素「balance of power(勢力均衡)」「concert/cooperation(協調)」「community(共同体)」がすべて欠落していた点などを挙げ、現在の東アジアも同様の状況だと指摘した。
学習院大学の井上寿一学長は「第一次世界大戦は日本に何をもたらしたのか?」と題し、大戦が広範にわたって日本に及ぼしたプラスとマイナスの影響を解説した。井上教授によれば、第一次世界大戦の勃発時、日本はこれを「欧州動乱」と考えていたが、その動乱は結果的に日本の体制を大きく改革することになった。大戦後に起きた二大政党制の促進、大衆消費社会の起こり、国際協調主義の外交などが日本社会に与えた光と影、そしてそうした影響が後に満州事変や日中戦争への布石として作用したことなどを述べた。
パネルディスカッション後、モデレーターを務めた熊本県立大学の五百旗頭真理事長は、「勢力均衡がとれていれば平和かと言えば、そうではないというのが第一次世界大戦の教訓だ」とし、「平和とは優位を得た側が自制を働かせるときにこそかなうもの」との考えを述べた。例えば、ビスマルク時代のドイツは普仏戦争後に欧州の平和・安定のためにベルリン会議を開催し、米ソ冷戦期には実質的優位にあった米国が、ソ連をたたくのではなく、あえてその封じ込めにとどめることで相手にも自制を厳しく強いた。五百旗頭教授はこのことを「非常に大きな教訓」とし、力ずくで海洋覇権的行動を進めようとする中国に対し、米国や日本、その他の関係国は大国としての再教育をしなければならないと語った。