セイエッド・アラヴィ(Seyed Alavi) インスタレーション・アーティスト
2002年 3月3日~2002年8月31日
イラン出身のインスタレーション・アーティストであるセイエッド・アラヴィ氏 は17歳で米国に移住。今回の日本滞在では視覚的表現力をさらに深め、文化横断的な理解を広げました。氏は京都に滞在し、彼自身の言葉によると、「沈思の空間を体験し、日本文化においてこんなにも高度に美術が日常に溶け込んでいるいうことを学びました」。滞在中は現代美術のギャラリー、アートセンター、美術館、庭園、神社仏閣、茶畑、墨工場、藍染め工場、伝統芸能の上演などを精力的に訪ねました。このように彼は日本文化と芸術に対する研鑚を深めるためにほとんどの時間を割きましたが、そのかたわら「特に天気と、日本の伝統や儀式にインスパイアされた」サイト・スペシフィックなプロジェクトを始動しました。このプロジェクトは近日米国の地方大学のギャラリーで取り組みの機会を得ています。セイエッドの米国における膨大な数の展示はこちらのウェブサイトからご覧になれます。
セイエッド・アラヴィ氏ホームページ
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ケニー・フリース(Kenny Fries) 作家
2002年 5月7日~2002年11月30日
ノンフィクション作家のケニー・フリース氏は、現在執筆中の作品「The History of my Shoes: Theme and Variations on Darwin, the Body and Cultural Difference(私の靴の歴史:ダーウィンの身体と文化的相違の視点に基づいた考察)」のための調査と執筆を目的として来日しました。身体障害を持って生れた者として、日本が障害を持つ者をどのように認知し、扱うのか、また、日本において障害を持つ者がいかに彼ら自身を認知しているのかに関心を寄せました。しかしながら日本に来てみると「数え切れないほどの新しい文化的体験や、絶え間なく目に飛び込んでくる馴染みのない、しかし感覚を包み込むような景色や音に圧倒されてしまったのです。」この体験は彼を四年来離れていた詩作の方へと導きました。また日本の伝統的な庭とその表現の微妙さに深い興味を抱き、庭についての詩を書くようになりました。「そこで現れてきたのが、庭園で外見的に見つけたことを表現したように見える詩篇でした。しかしながら、この詩は、日本庭園が儚い世界に存在する小宇宙を暗示しているように、詩の外面の下に隠された深い意味を示したものなのでした。」
コラボレーション・プラグラムの助成により、「In the Gardens of Japan」という音楽と声と尺八による、英語詩とオリジナル音楽のコンサートを開催しました。
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リサ・ヴァイス(Lisa Vice) 作家
2002年 5月30日~2002年11月29日
作家リサ・ヴァイス氏は広大で広々としたワイオミング州から、現在構想中の小説と短編の取材と調査のためにやってきました。日常生活を通じて彼女が実感したのは、東京でも昔ながらの地域や福島県会津若松といった所には、いまだに慣習や伝統が残っているということでした。彼女は自身の観察を絶え間なく書きとめています。「1ダースのノートが日本の文化や隣人の日常生活についてのこと細かな観察記録でいっぱいになった。公園やカフェ、地下鉄や電車に乗りながら、コインランドリーで、待合室で、墓地で、寺で、境内でそして自分の家の台所のテーブルで・・・どこででも私は書きつづけた。私をとりまく感覚的なディテールにつねに細心の注意を払いながら。」そういった日々の中、リサは畳や刷毛の店舗を訪ねたり、職人の仕事を見学し、日本舞踊を習ったりしました。リサ自身が日本を一時的な故郷とし、コミュニティの一員となることで、短期滞在の観光では決して体験することのできない、平凡な日々に対する深い洞察を得ることができたと言えるでしょう。
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ロバート・マイケル・ペイゾハ(Robert Michael Pyzocha) プロダクション・デザイナー
2002年9月28日~2003年3月27日
ロバート・マイケル・ペイゾハ氏はプロダクションデザイナーとしてこれまでに米国やヨーロッパ各地でステージセットやデザインの場で活躍を続けてきました。彼の来日の目的は、日本の寺社仏閣建築における視覚的言語について調査することにありました。彼は多くの神社仏閣、美術館、文化施設を訪問し、また演出家、舞台美術家、テクニカル・ディレクターといった人々と会い、日本の演劇界とのネットワークを広げました。劇場やテレビスタジオなども含め様々なスタジオを訪問するなかで、日本と米国のテクニックや価値の違いをじかに観察することができました。
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エリザベス・ミード(Elizabeth Jean Mead) 景観デザイナー
2002年 10月2日~2003年 4月1日
アーティスト、景観デザイナーであるエリザベスは、その傍らポートランド州立大学教授として教鞭をとっています。エリザベスが日本にやってきたのは「スペースを見るため、であり、様々な町や都市を旅し、写真やスタジオでの作品製作でそれらを記録することに時間はついやされました」。彼女は遊工房という東京でアートを支援し、組織する活動をするカップルによって運営されている小さなスタジオと住居を見つけました。この理想的なスペースを最大限に活用し、多くの作品をつくり、出発の前にはIHJのアーティスト・フォーラムの助成で個展をひらきました。また、立川国際芸術祭にも出展し、大山団地の住人として、立川の公立学校でワークショップをひらきました。
彼女は多くの建築を訪ね写真を撮っています。近代建築家の坂茂のアバンギャルド建築、京都の古代の寺や神社、東京郊外に放ったらかしにされた古い建物など。彼女の目、手、感覚は休むことなく、四国へ旅し、イサムノグチミュージアム、直島コンテンポラリーアートミュージアム、岡山県倉敷市の江戸期の建築、鎌倉の大仏、栃木県馬頭町の安藤広重美術を訪れています。また舞踏家の大野一雄氏のスタジオにも赴きました。彼女は日本での経験は「必ず今後の私の人生に静かにプレゼントを送り続けるだろう」と記しています。
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ペリー・ユン(Perry Yung) 音楽家
2002年10月19日~2003年4月18日
ペリーはサンフランシスコのベイエリア出身ですが、現在はニューヨーク在住です。モダンダンスやバレエカンパニーの他、 数多くの劇団やアーティストとともにパフォーマンスを上演する他、複合メディアによるインスタレーション作品の展示活動を行っています。他に、中国、日本、フィリピンと異なる祖先を持つ3人のアジア人で構成されそれぞれがともに自らの歴史、個性を、質の高いパフォーマンスと映像・音楽で表現するパフォーマンスグループ SLANT の創立メンバーです。
ペリーの来日の主な目的は尺八製作技術と演奏技術を磨くことにあり、滞在中様々な尺八奏者や製管師と共に作業しました 。研鑚の課程で舞踏に興味をもち、「海よ、海よ!!」というコラボレーションを行いましたが、 そこでは彼の音楽とパントマイム、そして、尺八奏者であり、尺八製作もする素川欣也 高名な舞踏家、大野一雄、大野慶 人といったアーティスト達のパフォーマンスが繰広げられました。また実際の尺八作りもパフォーマンスの一部として公開 しました。ペリーの尺八はアメリカの尺八奏者のあいだで、どんどんポピュラーになってきています。
SLANTホームページ
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ナンドラル・ナヤック(Nandlal Nayak) 作曲家、音楽家
2002年12月18日~2003年6月17日
作曲家・音楽家であるナンドラルは南インド カーナティック様式の伝統的なナグプルの唱、音楽、舞踏、Chhau舞踏劇様式 を広範囲に学び、これまでに世界中の多くの国々で作曲・演奏活動を行ってきました。彼の滞在目的は和太鼓のリズムを学 ぶことにありました。ナンドラルは「伝統が異なればリズムもまたそれぞれ異なる、多種多様な音楽家達と共に作業するこ とで、自分自身のもつリズムの中にある間がよく聞こえるようになった、また打楽器の音色の可能性についてさらに深く理 解するようになった」と語りました。日本滞在中には様々な日本人音楽家とともに、Hands: Rhythm Projectを開催し、日 本とインドの伝統の融合をはかりました。ナンドラルが古典と近代両方の文脈から選んだ演奏家には、琴と尺八奏者、太鼓 、ポップドラマー、電子音楽、ベーシストなどが含まれ、また二つのインド民族楽器の奏者も特別にコンサートに参加しま した。
国際文化会館庭園で行なわれたHands: Rhythm Projectは、インドと日本そして西洋の様々なリズムを融合させたものとな りました。メロディの断片、懐かしい田舎の民族楽器の音色が音楽家達の独特の手並みで音楽に織り込まれ、古代の楽器の 新たな可能性が探索されたと言えるでしょう。アメリカを拠点に活躍するダンサー、ウェンディ・ジョレンの振付と日本人 ダンサーによる踊りも音楽に寄り添い、加わりました。
ナンドラル・ナヤック氏ホームページ
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年度別日米芸術家交換プログラムフェロー
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