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- 日時: 2014年5月22日(木) 3:00~6:00 pm
- 会場: 国際文化会館 講堂
- 主催: 新潟県立大学、パルグレイブ・マクミラン社 (共催:国際文化会館)
- スピーカー: 猪口孝 (新潟県立大学学長)、ファリデ・コーヒ・カマリ (パルグレイブ・マクミラン社)
- パネリスト: 大塚啓二郎 (政策研究大学院大学特別教授)、加藤淳子 (東京大学大学院教授)、
鹿毛利枝子 (東京大学大学院准教授)、ケイト・W・ナカイ (上智大学名誉教授)、
ラーシュ・ヴァリエ (駐日スウェーデン大使) - 用語: 英語 (通訳なし)
主催者の言葉
◆背景
常日頃から日本の学者は英語学術出版を敬遠する傾向がある。なんとかならないかと長く思っていた。なぜなら、他の条件が同じ限り、学術論文・学術書は英文でも刊行した方が、一般に高く、広く、長く評価されると思っているからである。学者である以上、そう思うのは自然である。1980年代から米国学術雑誌の編集委員を30以上経験し、また1980年代末以降、英文学術書刊行(米欧学術出版社から)30数冊を記録している。今回のワークショップ開催はパルグレイブ・マクミラン出版社のグローバル・アウトリーチ部長のファリデ・コーヒ・カマリ博士が訪日したことがきっかけになっていた。私は同社の「アジア・トゥデイ」シリーズの編集委員をしていることもあり、国際文化会館でワークショップができまいかと問い合わせたことからすべてが始まった。幸い、国際文化会館の協力が得られ、私が学長をしている新潟県立大学とパルグレイブ・マクミラン社と三者の共催となった。
◆日本の学術出版
日本の学者の出版言語を見ると、一つの特徴がある。自然科学・工学・医学などでは英文学術論文、人文社会科学では日本語学術論文・学術書が圧倒的である。前者では英文学術書・日本語学術書は少なめ、後者では英文学術論文・学術書は少なめである。言語は学者の得意なものを選ぶのが自然であるが、ここまでグローバル化が進むと日本語だけに執着しているのはどうかと思う。せっかくの立派な研究成果が世界的に見れば無視・軽視される。日本で評価されればよしというのも一つの考えであるが、学者の真理追求、学術成果の世界的共有化の精神からは夜郎自大の田舎根性丸出しだと思う。
◆現実の悩み
英語を母国語としていない限り、幾多の困難を克服しなければならない。私の半世紀の経験や観察から見ると、東京大学学部学生の時の教員と学生の英語能力は半世紀の期間に格段に向上している。不思議なことは、英語学術出版はそれに比べると言語能力の格段向上に比例していないどころか、2010年代では世界大学ランキングも低下している。ワークショップでの討論がいくらかの助けになればと思う。
(猪口孝 新潟県立大学学長・東京大学名誉教授)
レポート
グローバル人材の育成が盛んに議論されている一方、日本人研究者による論文や書籍はいまだに日本語で執筆されたものが多い。どうすれば英語による発信量を増やせるのか、なぜ英文学術書刊行は重要なのか。そうした点を考えるワークショップが、新潟県立大学、学術出版大手のパルグレイブ・マクミラン社、国際文化会館によって開催された。新潟県立大学の猪口孝学長は「日本人による英文学術書刊行は以前に比べて増加傾向にあるものの、科学・医学・工学など自然科学系の論文に偏っており、人文・社会科学系はごくわずかだ」と指摘。そこで今回は、人文・社会科学分野を中心にスピーカーを迎え、日本における英文学術書刊行の意義と課題について議論した。
◆英文学術書刊行の意義
冒頭、猪口学長より自身の経験に基づく英文学術書刊行の意義が述べられた。猪口氏は、書籍の70%は日本語、30%は英語で刊行するよう意識的に努力を重ねてきた経験を共有した。非母国語で執筆することは効率的とは言えないが、「グーグル・スカラー」で調べてみると、自身の予想を上回る数の英文書籍に引用されていたという。また、英語で執筆したことにより海外からプロジェクトや国際会議への参加依頼があり、世界的研究ネットワークを構築できたというインパクトもあった。このような形で世界に開かれること、また、真理追求を軸とした学術活動の成果刊行を世界的にアピールすることも、英語での書籍刊行だからこそ可能になると、英語での学術書刊行の意義を強調し、積極的な執筆を奨励した。
政策研究大学院大学の大塚啓二郎特別教授は、経済学者の場合は英語による論文執筆は珍しくないが、書籍刊行は多くないと指摘した。大塚教授は自身の経験について、「最初は苦労したが、英文でレビューを書き続けたことが訓練につながり、いまでは和文と同程度の速さで執筆できるようになった」と述べた。専門によっては綿密な調査を要するためコストがかかるが、英文で執筆することにより国際研究ネットワークを築くことができると強調。また、大塚教授のような開発経済学者にとっては、実際の政策に影響を与えることが書籍刊行の主たる目的であり、それが達成できた時は英文執筆の意義を強く感じると加えた。
◆言語の違いをどう乗り越えるか
では、どのように英文学術書出版を増やしていけばよいのか。一つの方法は、翻訳を増やすことにほかならない。日本文化に関する多数の著作や訳書があるラーシュ・ヴァリエ駐日スウェーデン大使は、過去のノーベル文学賞受賞者のうち8人がスウェーデン人であるのに対して、アジア人の受賞者は4人にとどまっていることを例に挙げ、「選考委員たちが理解する言語に翻訳されていない作品は選ばれにくいということだ。世界で認められるには翻訳が絶対条件となる」と述べた。
日本近代史が専門で、英文学術誌の編集長を長年務めた経験もあるケイト・ナカイ上智大学名誉教授は、翻訳の重要性を訴えつつも、日英翻訳は言語的なロジックの違いもあり、決して簡単なものではないと言う。「翻訳技術の高さはもちろん、筆者の研究分野に明るく、ときに論文全体を根本的に再構成できる翻訳者となると当然コストは高くなる。この点も大きな障害の一つだろう」と指摘した。
もう一つの方法は英語で直に執筆することだが、この場合に求められるのは、英語教育の拡充だろう。大塚教授が教鞭をとる政策研究大学院大学では授業の8~9割が英語で行われ、「必ずしも留学経験がなくても、英語で立派な論文を書きあげる若手研究者を輩出している」という。
ナカイ教授は現段階での打開策として、「共同出版」の可能性を挙げた。「英語・日本語それぞれの学者が協働し、最終的には英語を母国語とする学者が原稿を仕上げる。翻訳は非常に重要だが、コストとのバランスを考えると、共同出版が一つの選択肢となりうるだろう」。
◆サポート体制の強化
一方、自然科学分野において英文学術書執筆者が多いのはなぜか。同分野で出版経験がある東京大学・加藤教授は、自然科学系の場合は若手研究者でも英文で執筆しやすい環境が整っていると言う。例えば「書籍よりも論文執筆が中心。しかもベテラン研究者との共著というケースが多い。書籍を出版する際は、科学系ライターからの手助けを得られることもある」と述べ、社会科学分野でもこうした奨励策が必要だと指摘した。
同じくサポートに言及した国際政治学者の東京大学・鹿毛教授は、「英文書籍を出版後、多くの日本人学者にアドバイスを求められた。モチベーションの問題ではなく、単に何から始めたらよいかわからないということだろう。米国で見られるように、英文出版社が学会に積極的に参加し、研究者にアプローチするといった活動が日本でも行われるとよいのではないか」と提案した。
◆効率的な出版プロセスを
学術出版の場合、同じ分野の専門家によるピア・レビュー(査読)の工程が必要となる。パルグレイブ・マクミラン社のファリデ・コーヒ・カマリ氏によると、「当社の場合、この段階で40~50%が却下される。出版する場合でも改稿の工程を踏まないものはない」という。そのため、企画提案から実際の出版までに2~3年を要する場合も少なくない。これに対しては、「ピア・レビューは論文の質を決める決定的な要素であり、丹念なレビューが結果として効率的な出版につながる」との声が聞かれた一方、「若い研究者にとっては、いち早く成果を出版することが死活問題。よりスピーディなレビューや編集を期待する」との意見も上がった。
◆公共財としての英文学術書
パネリストの多くが、英文出版をきっかけに得られる国際舞台での被引用数の増加、人的ネットワーク、講演会参加の機会などは、その後の研究活動に非常に大きな影響を及ぼしたと発言。研究者としてのキャリアにかけがえのない資産となるという点で一致した。また、猪口学長はさらに大きな視点から、英文学術書を刊行することにより、世界の学術界全体に対する公共財を提供し、貢献していくことの意義を強調した。